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「沖縄の人口動向から地域の魅力について考える」
今月も様々な報道がありました。「ダチョウ倶楽部」上島竜兵さんの逝去、国政選挙で選ばれた方々の問題発言の数々、東京スカイツリー開業10周年、「英語教育実施状況調査」結果の公表、「運転技能検査」の開始などなど。これらの出来事をめぐって個人的にいろいろ考えさせられましたが、本コラムでは迷った挙句「沖縄」を取り上げることにしました。といいますのも、今月15日(日曜日)は周知のとおり、沖縄が本土に復帰してからちょうど50年目という節目の日でした。私も今年、4年ぶりに「地域経済研究所」に戻ってまいりました。ちょっとした因縁を感じることもあり、ちょうど良いテーマかと考えた次第です。
メモリアル・イヤーということもあり沖縄に関する記事や番組は平年より多くなっていると思いますが、現在放送中のNHKの朝ドラも沖縄が舞台の『ちむどんどん』。沖縄ことばで、チム(肝=心胸・心)が高鳴る様子を意味する状態のようです。かつて沖縄に旅行した際、『高等学校琉球・沖縄史』という教科書を国際通りにほど近い古本屋でたまたま見つけたので興味本位で買ってみたところ、自分が高校時代に学んだ“日本史”とはかなり異なっていることに、相当『ちむどんどん』したことを思い出します(使い方がちょっと間違っているかもしれませんが)。
そんな沖縄には本土と異なる様々な特徴があります。その一つが「人口」です。5月は「子どもの日」、「母の日」がありますが、総人口に占める子どもの割合、母親の割合が47都道府県中最も高いのが沖縄県です。婚姻率や合計特殊出生率が本土返還以降、ずっと全国トップです。平成17年版の厚生労働白書のコラム「沖縄県の出生率が高い理由」では、(1)共同社会的な精神がまだ残っており、子どもを産めばなんとか育てていける。(2)男児後継ぎの意識が強く残っているので男児が生まれるまで産児を制限しないという説がある、と分析されています。政府刊行物にしてはかなり思い切った論考です。そして、出生数から死亡数を引いた自然増加数がプラスなのは、2016年以降沖縄県だけになっています。さらには、転入超過数(転入者から転出者を引いたもの)もプラスで推移していることから、沖縄は現在全国で唯一、人口が増加している県です。対照的に、自然増加数を大幅に上回る転入超過数によって人口を増やしてきた東京都では、コロナ禍によって転入超過が激減したことから、社人研による将来推計人口よりもかなり早いタイミングで人口減少に転じてしまいました。しなしながら、沖縄が単に“優等生”かというと、そうではありません。離婚者割合、嫡出でない出生や婚前妊娠による出生割合が高いことは、少なくとも“本土”では一般的に“良くないこと”とされています。平均寿命は他地域と比べて伸び悩んでおり、返還直後の男女とも全国1位から徐々に順位を下げています。
このように多面的な顔を持ち、かつ変化の激しい沖縄ですが、人を引き付ける魅力は依然健在のようです。“沖縄は特別だから”と考える向きもありますが、しっかりと向きあってみると、地域の魅力とは何なのか、案外その本質が見えてくるような気がします。
「祭り」という文化
福井県の東北部、奥越の地には2つの城下まちがあり、その一つが人口22千人あまりの小さなまち勝山市である。
ところで、同市の歴史的遺産を一つ挙げるとすれば、それは「越国」の僧、泰澄大師によって確立された白山信仰の一大拠点、平泉寺が今もその姿を残していることであろう。最盛期には48社36堂6千坊を誇り、越前文化の中心的存在であったともいわれている。天正2年(1574年)に一向一揆勢により焼き討ちに合うが、その9年後の天正11年(1583年)、平泉寺に戻った僧たち(顕海僧正と、その弟子専海、日海たち)が平泉寺の再興に着手、現在残る平泉寺白山神社を建立した。その後、江戸時代にはこの地の大名たちから手厚い保護を受け白山信仰の拠点として、現在までその存在感をとどめている。
また、この地は、全国でも貴重な恐竜化石の宝庫としても知られており、その拠点、福井県恐竜博物館には、コロナ禍前、年間100万人あまりの来場者が訪れたという。それと併せて、当地を代表する宝といえば、毎年2月の最終土日に開催される「勝山左義長まつり」を挙げなければならない。奇祭と呼ばれる「勝山左義長まつり」は、勝山藩主、小笠原氏が入封して以来300年以上の歴史があるといわれる。通常、市内の各地区には12基のやぐらが立ち並び、そのうえで色とりどりの長襦袢(ながじゅばん)姿に着飾った老若男女が独特のおどけ仕草で三味線、笛、太鼓、お囃子を披露し、その姿に多くの見物人が酔いしれ、コロナ禍前なら2日間で約10万人の来訪者を数えたらしい。
ところで、全国的に名高い祭りには、神田祭、祇園祭、天神祭、ねぶた祭、七夕祭、竿灯祭など挙げればきりがない。普通なら日本全体で年間何十万もの祭りが催されるともいう。しかし、この祭りという文化はいったいいつ頃から始まり今に至っているのか。一説では、神話の世界まで遡りその原点が語られているそうだが、古代社会に始まり仏教伝来や神仏習合の時を経て多様な意味を持つようになった祭りが、庶民の間で娯楽として定着したのは江戸時代に入ってのことらしい。この頃から、神輿や山車行列、獅子舞、花火大会など現在でも馴染みの催しが多く見られるようになったと聞く。ただ、明治に入ると、新政府から発せられた神仏分離令によってその歴史が大きく変わることになる。終戦後は寺社とは無縁のイベントとしての祭りも増えているようだ。
私の住む地域の秋祭りも、コロナ禍前の例年であれば賑わいが絶えなかった。ただ、一つだけ惜しいことは、地域の祭りも時代とともにその形が変化していることだ。神輿を担ぐ若集も、かつての胴巻き姿に法被、足には白足袋に草鞋(わらじ)といった出で立ちが崩れ、現代風にアレンジされた姿が目立つようになった。これも時代だから仕方ない。とはいえ祭りは文化、いにしえの形を受け継ぎ、守り、次の時代に伝えてほしいと思うのだが。とにもかくにも一日も早くコロナ禍がおさまり、前の祭りの姿を取り戻して欲しいものだ。国連の世界幸福度報告は何を測っているのか?
先日、世界幸福度報告の2022年の最新結果が世界に向けて発表された。日本は世界54位。では実際に、世界幸福度報告は何を測っているのか?残念ながらあまりそのことは理解されていない。このコラムでは、その内容の一端でもお伝えできればと思う。
世界幸福度報告では、人々の主観的幸福(主観的ウェルビーイング)を測定する方法として「生活評価」と「感情」の2つを概念枠組みとして採用している。
「生活評価」とは、“ある人の生活またはその特定側面に対する自己評価”のこと。0から10までの11段階の自己評価となり、回答した数字の平均値が国の「生活評価」の値となり、この値の国際比較が国際ランキングをつくる。この測定の仕方において、日本は世界54位/146国となる。
もう一方の、「感情」とは、“ある人の気持ちまたは情動状態、通常は特定の一時点を基準にして測る”方法で、一人ひとりの感情体験に注目した測定方法である。肯定的感情(幸せ, 笑顔, 喜び)と否定的感情(心配, 悲しみ, 怒り)の両方の体験の有無を測る。肯定的感情の体験が多いほど、また、否定的感情の体験が少ないほど、幸せ・ウェルビーイング度が高いと見なす。日本は、肯定的感情では67位/146国、否定的感情では12位/146国。他国に比して、肯定的感情の体験が多いとは言えないが、否定的感情の体験が少ないという意味では世界12位ということで、安定的な幸福感が存在することがこの結果からうかがえる。
また、主観的幸福を説明する要因として、「一人あたりGDP」と「健康寿命」の2つの客観要因と「社会的関係性」「自己決定感」「寛容性」「信頼感」の4つの主観要因を世界幸福度報告では測定してきている。日本の場合、客観要因である「一人あたりGDP」は28位/145国、「健康寿命」は1位/141国。主観要因である「社会的関係性」は48位/146国、「自己決定感」は74位/145国、「寛容性」は127位/146国、「信頼感」は28位/140国である。
主観的幸福に関する測定には文化差があるため、何を尺度にするかによって順位が変動する性質を有しているが、日本社会が世界幸福度報告から学び、それを自分事・地域事としていくためにまなざしを向ける必要があるのは、「社会的関係性」「自己決定感」「寛容性」「信頼感」の4つの主観要因であろう。
測定するだけでなく、ではいったい地域社会において「社会的関係性」「自己決定感」「寛容性」「信頼感」をどうすれば育むことができるのか。そのような対話が世界幸福度報告の結果を通じて生まれてくることを期待したい。世界は「虚構」でできているのか
いささか出遅れ気味ですが、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史(上下、柴田裕之訳、河出書房新社、2016)』の話をしたい。ハラリは、私たち「サピエンス」が地球を征服できた理由をサピエンスの「虚構を創作する能力」にあるとしている。サピエンスはこの虚構を不特定多数の者が信じることによって、大規模な集団行動をとれるようになり、ライオンなどの動物やネアンデルタール人など他の人類種に打ち勝ってきた。
それでは「虚構」とは一体何か。それは「架空の事物」のことであり、具体的には伝説、神話にはじまり、宗教、貨幣、国家、人権、法律、正義、さらに自由主義や共産主義、資本主義といったイデオロギー、果ては自然科学に到るまで、ありとあらゆる事物が「虚構」だとされている。え! 科学も。ハラリによれば、近代科学は「進んで無知を認める意志」を持っている。どのような科学理論も神聖不可侵ではなく、常に新たな理論に取って代わられる可能性を持つというポパーの科学理論の反証可能性のような理由によって、科学も「虚構」の一つなのである。
そしてハラリはこの「虚構」を創作し共通の神話として不特定多数のサピエンスの間に広めることができたのは言語のおかげだとしている。しかしそれでは、言語によって表現されるものは全て「虚構」であり、それは絵空事や夢幻も同然なのだろうか。
この問いに対して、イエスかつノーだ、と答えたい。イエスである意味は、ハラリの主張するように宗教も人権も世界そのものが有する世界の形式であるわけではない。それらはサピエンスが「発見」したものではなく「発明」したものである。そして言語も世界そのものの形式ではなく、サピエンス史上最大の発明品に他ならない。その意味で、言語表現されたものは表現者の視点(ものの見方、世界観)から、表現者の関心によって、表現者のために、世界から切り出され構成されたものなのである。言語はサピエンスとは無関係にそれ自身独立に存在しているものそのものを表現することはできない。
ノーである意味は、一切は言語による「虚構」だといっても、嘘偽りでも、誤りや間違いであるのでもない。つまり、この虚構は事実に対する虚構ではない。例えば人権は、確かに世界そのものの形式でもないし、永遠不変の真理としての根拠も、基礎も持たない。よって人権は守られなければならないことを私たちは、「知っている」のではなく「信じている」としかいえない。しかしこの信念は、「あなたの言うことを信じます」とか「この試合の勝利を信じています」といった信念とは異なる。
自分の右手を見てほしい。それでは、それが自分の右手であることに根拠や基礎があるだろうか。何を持ってきてもこのこと以上に確実なことなどない。ウィトゲンシュタインは「これは私の右手だ」、「私は月に行ったことはない」、「大地は大昔から存在している」等の特殊な命題を世界像命題と呼んだ。世界像は私たちの一切の活動の基盤となっている。そして根拠付け、基礎付けには終わりがある。しかし世界像は一番の基礎であり、最終根拠である以上、その根拠を示すことも、何かに基礎づけることもできない。だからこそ最終根拠であり一番の基礎なのである。そして世界像は絶対的なものでも普遍的なものでもない。根拠も基礎もない以上世界像について「知っている」とは言えない。「信じている」としかいいようがない。したがって世界像は神話に属している。
それでは世界像は絵空事だろうか。「これは私の右手だ」ことを疑うことができるだろうか。このことを疑うくらいならば、自分の精神状態を疑うべきではないか。このことを疑っていて、どうして車のハンドルが握れるだろうか。手すりに掴まることも、この文章を書くこともできなくなる。私たちは「これは私の右手だ」などと意識することなく、何の躊躇もなくこれを自分の右手として行為している。生活している。これが現実である。
私たちサピエンスの現実は、それ自身独立に存在する実体によってできているのでも、事物背後にあって事物を事物ならたらしめている永遠不変の本質、言語でいえば言葉の背後にある意味なるものによって成立しているのでもない。絵空事というなら、これら実体や、本質、意味なるものこそ絵空事なのである。-持ち直しに入る日本経済、課題山積の中で新たな経営モデルの構築を-
2021年の日本経済を概観すると、年初来、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が断続的に発令される中、国内景気は一進一退の状況を余儀なくされた。
ちなみに、昨年1~3月期は、堅調な輸出に支えられ生産活動が回復基調を持続する一方、需要面では緊急事態宣言の再発令による外出自粛や飲食店などでの時短営業から個人消費が精彩を欠いた。4月に入ると、3度目の緊急事態宣言が発令され足下の消費活動が再び弱含んだものの、輸出が堅調な汎用機械や生産用機械、電子部品・デバイスなどの増産により、生産活動が回復基調を持続。その結果、4~6月期のGDP成長率は2四半期ぶりのプラス成長となった。しかし、7月入り後は、感染拡大を受けた緊急事態宣言の4度目の発令により、各種の物販をはじめ宿泊・飲食サービスなど個人消費の抑制傾向が続いたほか、設備投資も前年割れで推移した。
供給面でも、半導体不足や東南アジアからの部品調達の停滞による自動車の減産などから、低調な創業が続いた。そのため、2021年7~9月期のGDP成長率(改定値)は、物価変動の影響を除いた実質で前期比▲0.9%、年率換算で▲3.6%と、2四半期ぶりのマイナス成長に陥っている。
ただ、秋口以降は、ワクチン接種の進捗と新規感染者の低下傾向、それによる9月の緊急事態宣言解除を受け、停滞した宿泊・飲食サービス関連需要を含め、国内での経済活動の再開が進んだ。
こうした中、2022年の経済情勢について概観すると、今は何と言ってもオミクロン株の感染拡大が懸念されるところではあるが、まず需要部門では、うまく新型コロナウイルス感染の鎮静化が進めば、経済活動が正常化し雇用・所得環境の改善が進むことに加え、防疫への対応と経済活動の両立が進み、さらに、これまでの政策支援や消費抑制傾向により過剰に積みあがった家計貯蓄の一部が消費に回ることで、個人消費の回復に繋がるとの考え方が有力である。ただ、原油高などを背景とする仕入価格の上昇により、運輸・郵便や宿泊・飲食サービスなどのもう一段の業況悪化も懸念され、業種・業態間による収益環境のバラツキも顕在化するであろう。
一方、供給部門では、半導体の供給制約という課題が本年も負の影響を与えるものの、世界的な景気回復を背景に資本財や電子部品・デバイスへの需要が堅調であることや、部品不足の要因となった東南アジアの新型コロナウイルス禍が和らぎ、今後、自動車などの生産が持ち直していくとの見方が支配的である。従って、本年の日本経済は、各種の不確実性を伴いながらも、徐々に持ち直しの状況へと進むであろう。
また、前述したオミクロン株の需要への影響についても、景気腰折れといった最悪のシナリオを想定しておく必要はあるが、これまで経験した国民のコロナ対応能力に加えて、オミクロン株自体に、懸念されるほどの脅威がなければ、思うほどの厳しい状況は回避できるものと考えられる。
いずれにせよ、産業・企業を取り巻く環境は、今、コロナ禍は無論、DX化、サスティナビリティ、SDGs、CSR、カーボンニュートラル等、多様な課題に対応することが必要とされている。いつまでもこの現状に手をこまねいているわけにはいかない。課題山積の中ではあるが、そろそろ新たな経営モデルの構築を図らなければならない。
それには、具体的にどのような事業戦略を検討すべきなのであろう。例えば、現在保有する市場を深堀する、今の技術やノウハウで新たな市場を開拓する、或いは今の市場をベースに新たな技術やノウハウを投入する、そして、多角化戦略など様々な考え方があるに違いない。もちろん、考えた戦略を成功に導くためには、自社を取り巻く外部環境から自社にとっての機会と脅威を整理し,さらに自社の独自能力から強み,弱みを分析するなどして自社が取るべき今後の戦略を明確にしていくことが必要となろう。一刻も早く、攻めの経営へと転じてもらいたいものだ。ジェンダー・ギャップ指数と女性取締役
2021年もコロナ禍で始まり、コロナ変異株への不安や対応で暮れようとしている。その中でオリンピック・パラリンピックの開催も話題になったが、日本における女性の活用の停滞や女性蔑視ともとれる発言等も世界から注目された。12月1日に発表された流行語大賞のトップ10に「ジェンダー平等」が選ばれていることからも、性別にかかわる差別の撤廃や多様性を受け入れる社会への意識の高まりを感じさせる。
世界経済フォーラム(World Economic Forum : WEF)は、毎年各国における男女格差を測る「ジェンダーギャップ指数」を発表している。この指数は「経済」「政治」「教育」「健康」の4つの分野の各国のデータから作成され、「0」が完全不平等、「1」が完全平等を示している。2021年3月に発表された日本のスコアは0.656で156か国中、120位と残念ながら大変低い。2020年も121位であまり改善は認められない。他の国を見るとドイツのスコアが0.796で11位、フランス0.784、16位、英国0.775、23位、カナダ0.772、24位、米国0.763、30位、イタリア0.721、63位と先進国といわれる国は、総じて日本よりもジェンダーギャップが低いことがわかる。アジア地域の国と比較してもタイ0.710、79位、ベトナム0.701、87位、韓国0.687、102位、中国0.682、107位と日本より順位が高く、日本のジェンダー平等が進んでいない状況は明白である。
日本は特に「政治」及び「経済」の分野のスコアが低くなっている。WEFのレポート作成当時においては、国会議員の女性割合は9.9%、大臣の割合は10%に過ぎない(10月1日に投開票された衆議院議員の女性当選者は465人中45人で9.7%と前回選挙より減少した)。国は「第5次男女共同参画基本計画」の中で国会議員に占める女性の割合を2025年までに35%に引き上げるという目標を掲げているが、実現は厳しそうである。
経済分野においてWEFのレポートは、働いている女性の割合は高いが管理職の女性割合が14.7%と低いこと、取締役の比率が低いこと、非正規雇用の比率が男性に比べ高いこと、平均所得が男性よりも低いこと等を指摘している。厚生労働省の「雇用均等基本調査」(2018年)によれば女性の管理職は部長相当職6.7%、課長相当職9.3%、係長相当職16.7%となっており課長職以上の管理職の比率は11.8%と報告されている(管理職に占める女性の割合)。OECDの2020年のデータでは、フランスの女性管理職比率は45.1%、ドイツは同36.3%、英国は同34.7%と報告され日本女性の管理職比率の低さが際立つ。内閣府の男女共同参画推進本部は2003年時点で「指導的地位に占める女性の割合を30%以上に」という目標を掲げているが、18年を経てなお実現には程遠い現状である。
意思決定に意見が反映される取締役への登用はどうか。東京商工リサーチの調査によれば2021年3月期決算の上場企業2,220社の女性取締役(取締役・監査役)比率は7.4%で前年より1.4ポイント増加しているという。しかしながら女性取締役のいない上場企業は965社あり、43.4%に上る。女性取締役の場合社外取締役が多いことも特徴で、2017年の調査では弁護士23.5%、企業経営者22.1%、公認会計士・税理士10.2%、大学等の研究者9.1%と社外の専門知識を持つ女性を社外取締役として招聘する場合が多いようだ。経団連もまた2021年3月に、期限は明示していないが、企業の役員に占める女性の割合を30%以上にするという目標を掲げている。
福井県の場合はどうか。2017年の総務省「就業構造基本調査」によれば、福井県女性の労働力率は56.1%と全国1位であり、正規雇用者比率も53.9%、全国2位と高い。平均勤続年数も11.4年と全国の9.8年を上回っている。しかしながら管理職比率は8.99%、全国46位となり、働く女性は多いが管理職として力を発揮する女性の少ないことが課題とされている。女性の取締役登用について有価証券報告書で確認してみる。12月20日時点で福井県の上場企業は15社ある。その中で女性取締役を有する企業は6社、6名である。そのうち5名が社外取締役であり、3名は2021年3月期以降に就任している。15社の取締役(取締役・監査役)総数は147名である。女性取締役のいる企業は4割に上るが、取締役に占める人数はわずかに4.1%であり、全国の7.4%よりもかなり低い状況である。
企業の経営者からは「女性を取締役に登用したいが、人材がいない」との声をしばしば耳にする。経営全般に精通している人材と考えると厳しいかもしれないが、まず器を与えれば周囲の力を借りて育つのではないだろうか。先ごろアメリカの経済誌フォーブスが発表した「世界で最も影響力のある女性100人(2021年)」には東京都の小池知事と共に日銀初の女性理事となった清水季子氏が選ばれている。2022年には日本のジェンダーギャップ指数が向上し、より多くの日本人女性が世界で影響力のある女性に選出されることを期待している。利益構造を理解しておく
11/18のニュースで、新型コロナウィルスに感染し、福井県内の医療機関に入院または宿泊療養施設に入っている人がゼロになったことが報じられました。一方で、今後予想される感染拡大による第6波に備えて、体制を強化し、病床・宿泊療養施設を確保しつづけることが報告されています。
感染者が減少したことは、とても喜ばしいことですが、利用されない空き病床・宿泊療養施設を確保しつづけることは、医師や看護師、医療施設をはじめとする貴重な医療資源であるヒト・モノ・カネを固定化し、コロナ対応以外の医療行為へ有効に活用できない状態をつづける、ということでもあります。同じような状況を企業経営に置き換えて考えると、経営者を非常に悩ませる事態であることが理解できます。
第6波がいつくるか、どの規模になるか、どの程度つづくかなどは不確定な要素が大きく、実際におきるまでわかりません。このような不確実性が高い事態に備える場合、全国各地で多くの病床を確保しておこうとしているように、企業も事態に問題なく対応できるよう、対応能力を大きくしておこうとする傾向があることが指摘されています。
これは、不確実性が高い程、稼働率が極端に高くなる可能性が高まることや、対応能力の限界近くまで稼働率が上昇すると、小さな問題が大きな障害に発展して、本来の能力が発揮できなくなる可能性が高まるためです。これには混雑コスト(cost of congestion)が関係しています。たとえば、交通量が多く混雑している道では、トンネルや坂道などちょっとしたことで渋滞になり、通過する時間が大幅に増えてしまうことからも想像できると思います。
一般には、稼働率を高める程、コストが安くなるため、経営的には望ましいと考えられています。しかし、この混雑コストを考慮すると、稼働率が高い状態では、混雑コストが発生するリスクが高く、稼働率の上昇にともなう収益の増加を減らしてしまう可能性があります。とは言え、稼働率が低くなれば、大きな対応能力を用意するための費用をまかなうことができず、赤字になってしまいます。実際、コロナ禍のもとで売上が減少し大幅な赤字となる大きな要因の一つは、稼働率の低下です。顧客からの要望に応えられるようにと、日常的に対応能力を高めている組織ほど、コロナ禍による需要減少によって大きな打撃を受けているはずです。
コロナ禍のような異常事態に打てる会心の対策は多くないかもしれません。それでも対策を考えるためには、自社の利益構造を理解することが大切になります。これにはCVP分析(損益分岐点分析)が有効です。売上高の変化にあわせて変動費・利益がどう変化するか、固定費はいくらか、損益分岐点はどこか、どうすれば利益構造を変えることができるかなどを理解する助けとなり、効果的な対策を考える基礎となります。
資源は有限です。経営にとって重要なのは、有限の資源であるヒト・モノ・カネをいかに有効に配分し活用するかです。一方で、英智は無限とも言われます。有限の資源を活かし、知恵を出しあい、工夫を重ね、難局を乗り越える英智を創造し、実行することができるかが、生き残りと成長にかかっています。企業が存続するためには、利益を出すことが重要です。ぜひ会計情報を用い経営に活かしてください。まずは己を知ることからはじめてはいかがでしょうか。福井県の介護状況と女性の介護と仕事の両立支援
少子高齢化に伴う人口減少により働く年代が減少している。特に高齢化が進む福井県は減少のふり幅が大きくなると思われる。また、福井県は夫婦共働き率日本一である。高齢化の進展に伴い仕事と親の介護を両立する女性の増加も予測される。今以上に女性が活躍できる環境を整えなければ、地域経済の活性化は難しい。そこで本稿では、福井県の介護状況と、女性の介護と仕事の両立支援について考えてみたい。
福井県は三世代同居・近居が多く、夫婦共働き世帯の中には、親世代による子育てや家事の支援を得ながら仕事を継続している女性も多い。県の優れた子育て支援策と、三世代同居・近居による親世代の互助は、福井県に住まう女性の子育てと仕事の両立を支える重要な地域資源である。しかし、ひとたび親が疾患で入院すると状況は一変する。病院を退院した親に看護・介護が必要な場合、女性はそれまで親世代にお願いしていた子育てや家事を自分で行わなければならない。加えて、入院中は看護師やリハビリ職等が行っていた親の看護・介護を自宅で継続する必要がある。特に、祖母が倒れた場合は大変で、働きながらの育児・家事に、祖母の看護・介護と祖父の日常のお世話が加わる。こうして子育て中の勤労女性は、親が倒れた日を境に一気に手が回らなくなるのである。親世代もそれを理解しており、疾患や加齢で娘や嫁の育児や家事を支援できない状態になると、「迷惑はかけられない」と自ら施設入所を希望するケースが散見される。
介護施設の整備状況も女性の介護と仕事の両立のしやすさに関係する。例えば大都市圏で高齢者施設への入所を希望しても、自宅近くには高額な施設しかない、入りたくても空きがない、支払い能力に見合った施設は自宅から遠方にしかない等の場合が多い。一方福井県は高齢者施設の整備が進んでおり、比較的容易に希望する施設に入所することができる。安価な公的施設への転入所も早いため、施設費用による過度な家計の圧迫も少ない。福井県は、施設入所による施設ケアを受けやすい地域なのである。
施設ケアは、在宅医療・看護・介護を推進する国の意向に反するものである。しかし、仕事をしながら子育てと介護のダブルケアや、難病や障害児・者への生活援助、複数人を介護する多重介護等、多重のケアを抱える女性が自宅でケアを続けることは困難である。子育てと違い介護には終わりがみえない。特に自宅で家族を看護・介護する女性は、終わりがない介護に疲弊し心身の健康を害していく。できないものはできないと割り切り、利用できる地域資源を利用して仕事を継続する勇気が必要である。
長年続けてきた男女の働き方や暮らし方、ものの見方や考え方を変えることは難しい。しかし、やらなければ何も変わらない。親を看護・介護する女性が身体と心の健康を保ち、職場や地域で活躍する機会を奪わないよう、周囲も適切なサービスの利用を勧めることが重要だと思う。福井県から「出る人」、「戻る人」、「残る人」
福井県の人口減少は、全国を上回る水準で進行している。その要因は、①自然減の進行、(2)社会減の進行、に分けることができる。①自然減に関しては、合計特殊出生率は全国平均を上回っているが、先行する高齢化による死亡者数の増加を補える水準には達していないことによる。(2)社会減に関しては、2020年の転出率が1.58%(全国38位)、転入率が1.39%(全国35位)といずれも全国平均を下回り、定住性の高い地域となっているが、転出率が転入率を上回ることで進行することになる。
本稿では社会減の進行に関して、誰がどのような理由で、①福井県から出ていくのか、(2)いったん出て行って戻ってくるのか、(3)出ていかずに残るのか、についてアンケート調査のデータ分析を通して検討していきたい。
福井県の人口減少の原因を探る目的で、2020年8月1日から21日にかけて、インターネットによるアンケート調査を実施した。対象者に関しては、「福井県出身者および福井県になじみのある方で、福井県外および福井県内に居住されている18歳以上の方」とした。福井から出ていった人たちに関しては、東京都県人会、大阪府県人会の協力を得て、そのメーリングリストを用いて登録者に回答をお願いした。他にも福井県立大学のHPを用いて卒業生などに回答を求めた。有効回答数は588である。
回答者の就学年数に関して、大卒相当と思われるものが60.2%、大学院卒相当と思われるものが20.7%に達した。日本の大学進学率が5割程度、大学院進学率が6%程度であることを考えると、極端に高学歴層に偏ったデータとなっている。
福井県との関係を基準に居住経路を、「定住」(進学、就職、結婚などの契機を経ても、福井県に留まり続けているグループ)、「流出」(上記の契機を経て、福井県から転出し、戻ってきていないグループ)、「Uターン」(上記の契機を経て、福井県から転出し、再び戻ってきたグループ)、「流入」(福井県外出身者で、福井県に転入してきたグループ)、「経由」(福井県外出身者で、進学などを契機として、福井県に転入し、再び出ていったグループ)に分類した。それぞれ人数と総数に対する比率は、「定住」が125人(21.3%)、「流出」が185人(31.5%)、「Uターン」が183人(31.2%)、「流入」が22人(3.7%)、「経由」が72人(12.3%)であった。データの収集法から考えて、「流入」は福井県立大学の教職員、「経由」は福井県立大学の卒業生が、その大半を占めることが予想され、経歴や属性が偏っている可能性が高く、人数も少ない。このため以下では「定住」、「流出」、「Uターン」の3グループのデータに絞って分析を進めていく。高学歴層で、福井県に残った人、出て行った人、一度は出ていったが戻ってきた人、とは、どんな人たちなのだろう。
アンケート調査では、仕事、人生の楽しみやすさ、日常生活、人間関係の4分野に関連して、それぞれ14項目、8項目、10項目、10項目の質問をおこない、「しやすい」、「どちらかといえばしやすい」、「どちらともいえない」、「どちらかといえばしにくい」、「しにくい」の5段階で回答を得た。具体例として、仕事関連の14項目についてみていきたい。「仕事と子育ての両立のしやすさ」に関しては、3つの居住経路のすべてで、「しやすい」と「どちらかといえばしやすい」をあわせた肯定的な評価が6割を超え、「しにくい」、「どちらかといえばしにくい」をあわせた否定的な評価は1割程度にとどまる。「働き続けやすさ」、「仕事と介護の両立のしやすさ」、「通勤のしやすさ」でも、すべての居住経路で、肯定的な評価が否定的な評価を、それぞれ、4割程度、1~2割程度、少しだけ、上回る。「学業との両立のしやすさ」では、すべての居住経路で、肯定的な評価と否定的な評価が拮抗している。「仕事帰りの飲みに行きやすさ」では、逆に、すべての居住経路で、否定的な評価が3割程度上回る。
「キャリアアップのしやすさ」に関しては、居住経路ごとに評価がわかれる。すべての居住経路で、否定的な評価が肯定的な評価を上回るが、肯定的な評価は「定住」の21.6%が最も多く、「流出」では6.5%、「Uターン」では8.2%にとどまる。否定的な評価は、「流出」が突出して多く63.2%に達し、「Uターン」では49.2%、「定住」では、37.6%と、ばらつきが大きい。すべての移住経路で否定的な評価が肯定的な評価を上回り、「流出」でそうした傾向が最も顕著にあらわれるというパターンは、「高収入の得やすさ」、「職業上のスキルの磨きやすさ」、「仕事の幅の広げやすさ」、「職業上のコネクションの広げやすさ」、「転職のしやすさ」、「起業のしやすさ」の6項目でも共通している。
質問項目をより少数の要因(因子)に縮約する目的で、4分野ごとに因子分析(最尤法、プロマックス回転)を実施した。仕事関連の項目からは、3つの因子が抽出され、因子1は、「仕事の幅を広げる」、「職業上のスキルを磨く」、「キャリアアップする」、「高収入を得る」といった項目との結びつきが強いため「キャリア形成評価」に関する因子であると解釈した。因子2は「仕事と介護の両立」、「仕事と子育ての両立」といった項目と結びつきが強いため「ワーク・ライフ・バランス評価」、因子3は「働き口の見つけやすさ」、「働き続けやすさ」と結びつきが強いため「就業機会評価」、と名付けた。
人生の楽しみやすさ関連の項目からは、2つの因子が抽出され、それぞれ、「趣味を深める」、「好奇心を満たすと」などとの結び付き、「最新の情報を得る」、「流行のものを手に入れる」との結び付きが強く、「余暇評価」と「モード評価」であると解釈した。
日常生活に関連する項目からは、2つの因子が抽出され、それぞれ、「子育てのしやすさ」、「介護のしやすさ」などとの結び付き、「長生きする」、「健康を維持する」との結びつきが強く、「生活評価」と「健康長寿評価」であると解釈した。
人間関係に関連する項目からは、2つの因子が抽出され、それぞれ、「地域とのつながりをつくる」、「近隣で助け合う」、「親せき付き合いをする」などとの結び付き、「自分の考えを貫く」、「多様性を尊重しあう」、「人目を気にせず生きる」などとの結び付きが強く、「ネットワーク評価」と「寛容性評価」であると解釈した。
これらの因子を用いて、福井県に残った人、出て行った人、戻ってきた人の特徴を明らかにする目的でロジスティック回帰分析をおこなった。具体的には、いずれかの居住経路に対して、いずれかの居住経路を選ぶ、確率の高さの予測することになる。
独立変数として、4分野から抽出した因子を投入するが、多重共線性の問題を回避するため、相関係数の値が大きな(0.5を超える)因子からは、片方だけを選んで投入する。具体的には、「キャリア形成評価」と「就業機会評価」からは「キャリア形成評価」を、「余暇評価」と「モード評価」からは「余暇評価」を、「生活評価」と「健康長寿評価」からは「生活評価」を、選んで投入する。「キャリア形成評価」、「ワーク・ライフ・バランス評価」、「余暇評価」、「生活評価」、「ネットワーク評価」、「寛容性評価」の6因子に加えて、跡継ぎの候補者(一人っ子、長男、男兄弟のいない長女)であるかどうかも独立変数に加える。6因子に関しては、因子得点の中央値を基準として2分割(評価している/評価していない)したうえで投入する。結果は、以下の通りである。
「定住」を基準として、「流出」の経路を選ぶ確率の高さを予測する上で、役に立つ(統計学的にみて有意である)のは、「キャリア形成評価」と「寛容性評価」の2因子(5%水準で有意)で、オッズ比からは、「定住」に対して「流出」の経路をたどる確率は、1)キャリア形成のしやすさを評価していると0.547倍になり、2)人間関係ついて寛容性を評価していると0.575倍になる。同じことの言い換えになるが、「流出」の経路をたどる確率は、1)キャリア形成のしやすさを評価して「いない」と1.828倍、2)人間関係ついて寛容性を評価して「いない」と1.739倍になる。職業上のキャリアアップを重視し、地域のしがらみの強さ(社会関係資本のダークサイド)を嫌うものが、福井県から出て行って戻ってこないという構図が推察される。
「定住」を基準として、「Uターン」の経路を選ぶ確率の高さを予測する上で、役に立つのは、「ネットワーク評価」と「跡継ぎ候補」の2つの要素(5%水準で有意)で、オッズ比からは、「定住」に対して「Uターン」の経路をたどる確率は、1)人間関係のネットワークの緊密さを評価していると0.478倍になり、2)一人っ子、もしくは、長男、男兄弟のいない長女であると1.760倍になる。同じことの言い換えになるが、「Uターン」の経路をたどる確率は、1)人間関係のネットワークの緊密さを評価して「いない」と2.092倍、2)跡継ぎの候補者で「ない」場合は0.568倍になる。地縁的・血縁的なつながりの緊密さを評価しているものが福井県に残り続け、跡継ぎ候補はいったん県外に出て行っても戻ってくる可能性が高いという構図が推察される。
「流出」を基準として、「Uターン」の経路を選ぶ確率の高さを予測する上で、役に立つのは「キャリア形成評価」と「ネットワーク評価」の2因子(1%水準で有意)で、オッズ比からは、「流出」に対して「Uターン」の経路をたどる確率は、1)キャリア形成のしやすさを評価していると1.965倍になり、2)人間関係のネットワークの緊密さを評価していると0.495倍になる。同じことの言い換えになるが、「Uターン」の経路をたどる確率は、1)キャリア形成のしやすさを評価して「いない」と0.509倍、2)人間関係のネットワークを評価して「いない」と2.020倍になる。職業上のキャリアアップを重視するものは、「流出」の経路をたどり、地縁・血縁的なつながりの評価が低いものが、「Uターン経路」をたどるという構図が推察される。
福井県から出て行ったものの転出の直接のきっかけに関して、「進学」が49.7%で最も高く、これに「就職」の15.1%が続く。「流出」の経路を選択したものに関して、学びたいことを自分の能力に見合った水準で学べる環境が得られず、福井県から出て行き、就職に際して、自分が望むキャリア形成の実現が福井県では困難であると考えて、戻って来なかったといったパターンが想定される。アンケートでは、職業上のキャリアアップへの関心の程度を尋ねているが、「非常に関心がある」という回答は、「流失」で35.3%と、「定住」の18.1%、「Uターン」の18.2%の倍近い割合になっている。実際の働き方に関しても、管理職に就いているものの割合は、「定住」が3.4%、「Uターン」が17.0%なのに対し、「流出」では25.3%と4人に1人以上に達している。進学や就職に際しての魅力的な受け皿の少なさが、人口流出の一因になっていることは間違いなさそうだ。
福井県は人口移動の少ない定住性の高い地域で、血縁・地縁のネットワークがそれなりに維持され続けている。こうした社会関係資本の豊富さは、福井県の暮らしやすさの一因でもある。一方で、こうした既存のつながりは結節型のネットワークと呼ばれ、それが強すぎると、よそ者や少数者を排除する傾向や同調圧力が強くながりがちであることが知られている。地縁的なつながりの強さは、相互監視体制につながりやすく、「コロナウィルスに感染するより、感染したことを周囲に知られてつまはじきにされることの方が怖い」といった認識を生み出すことになる。コロナ対策おける「福井モデル」の有効性はこうした心理的な機制によって支えられたものであると思われる。福井県の特徴である結束型のネットワークの緊密さの光の部分と影の部分をどのように評価するかが、「残る」、「出る」、「戻る」の選択にも影響を及ぼしている。ダークサイドにあたるしがらみの強さを嫌うものは「流出」の経路をたどりやすく、光の部分にあたる地縁・血縁の絆の深さや支えあいの関係を高く評価しているものは「定住」の経路を選択する傾向が強い。「Uターン」に関しては、地縁・血縁のネットワークの評価の低いものがいったん地元を離れるが、跡継ぎであるなどの理由から再び戻ってきているといったパターンが想定される。
働く場所は豊富にあるが、働き方の選択肢は少ない。地縁・血縁のネットワークが豊富で、社会的なつながりに包摂されて暮らしていけるが、スタンダードからの逸脱は許容されにくい。福井県の特徴の光と影の部分への評価の違いが、そのまま居住経路の選択にも影響していることが明らかになった。進学や就職に際しての受け皿の問題への対応、興味や関心にもとづく選択縁的な新しいつながり(架橋型のネットワーク)を醸成するための仕組みづくり、といった課題が浮かび上がってくる。
「働き続けやすさ」、「仕事と子育ての両立のしやすさ」、「仕事と介護の両立のしやすさ」、「子育てのしやすさ」、「持ち家の取得しやすさ」、「健康の維持しやすさ」、「長生きのしやすさ」といった項目は、すべての居住経路で評価が高かったため、3経路の予測には役立たなかったが、誰から見ても福井県の強みということになるだろう。人口減対策という文脈からは、Iターン(流入)を呼び込むことも課題となる。福井県の強みに魅力に感じてくれそうなターゲットに向けて、効果的に情報を発信していくという補完的な戦略も必要になってくるだろう。5倍速、10倍速で環境変化が起こる時代の人材戦略
DX(デジタルトランスフォーメーション)化への注目の高まりや働き方改革関連法の制定に加えて、コロナウイルス感染症の拡大によって「リスキリング」という言葉が広がりつつある。
DX化の加速や浸透によって、仕事そのものに求められる人材スペックは劇的に変化することが予測される。これは、今ある仕事が今後も継続して残ることが保証されない、今持っている知識や技能が使い物にならなくなる可能性を示唆している。ちなみに世界経済会議(ダボス会議)の「リスキル革命」というセッションでは「第4次産業革命により、数年で8000万件の仕事が消失する一方で9700万件の新たな仕事が生まれる」と報告された。
他方、働き方改革関連法の制定は、70歳までの就業機会の確保について、企業として措置を制度化する努力義務が設けられたことが特徴で、これは人口減少や少子化・高齢化に伴う労働力不足の解消に貢献するものと見られがちである。しかし、コロナウイルス感染症の拡大で「5倍速、10倍速の環境変化が起こっている」といわれる今、ベテラン社員のみならず「会社に貢献できない社員が増える、そうした社員を抱え込まなければならない」という企業リスクが拡大したとみることも可能であろう。つまり、今いる社員の現役時代を長くするだけでは、企業の成長にはつながらず、何らかの対策が企業に求められているともいえる。
この対策のひとつがリスキリングで、これまでよく耳にした「リカレント」(現在の仕事を中断し、大学等で学び直すこと)とは異なる。これは、社員に対して、いかなる環境変化があったとしても会社に貢献できる社員として、スキルや能力や知識、技能をアップデートし続ける機会を与えるという、いわば「DX化時代、雇用延長時代、コロナ禍時代の人材戦略であり能力開発、人材育成・活躍支援策」といえる。
こうした取り組みは、海外が先行しており、例えばAmazonでは非技術系(倉庫作業者)人材を技術職に移行させる「アマゾン・テクニカル・アカデミー」などを行い、2025年までに米アマゾンの社員10万人(一人当たり投資額約75万円)をリスキリングすると発表している。
Amazonのような大規模なリスキリングの取り組みを、日本の中堅中小企業が実施するには高くて数多くのハードルがあるだろう。ただ、少なくとも、できる範囲で、企業や個人がそれぞれ主体的にリスキリングに取り組むことは可能ではないだろうか。
コロナウイルス感染症の拡大は、企業にも私たちひとりひとりにも「自己変革」という、もう避けることができない課題を突き付けた。企業であれば、意欲を持って自己を高めようと努力や挑戦する社員を奨励・称賛する風土づくりから始めても良いだろうし、個人は「DX時代やコロナ禍時代に、自分自身は社員として生き残ることができるのか、今のままで会社に貢献できるのか」と自問自答することから始めてみても良いのではないだろうか。