2025年
主観的ウェルビーイングの3つの側面
先日、主観的ウェルビーイングに関する本格的な教科書である『ウェルビーイング学 -理論・エビデンス・実践-』(慶応義塾大学出版会)を出版することができました。そこで、”主観的ウェルビーイング”にまつわる小話をコラムにてお届けできればと思います。
昨今、人の幸福、健康、福祉などを包含するウェルビーイング(Well-being)という概念に関心があつまっています。そのウェルビーイングを大別しますと、①客観的ウェルビーイングと、②主観的ウェルビーイングの二つがあります。
客観的ウェルビーイングとは、対象の状態のよしあしを外部から観察可能な客観指標で評価する概念であり、社会を対象とする場合にはGDPや平均寿命、平均教育年数などが用いられます。一方、主観的ウェルビーイングとは、対象となる自身の状態について主観的にどのように感じているのかを指し、外部からの観察では分かり得ないものです。たとえば、対象が「個人」として、客観的な指標(例:年収や職業など)で見ると恵まれているように外部観察者が判断しても、実際に本人が自身の状態のよしあしを主観的にどのように感じているのかは、外部からは評価できないものです。
そして、公共政策や企業経営等において注目されているのは、後者の”主観的ウェルビーイング”となります。
現在の国際的な共通理解では、主観的ウェルビーイングは三つの側面から捉えられるとされています。第一は「体験」です。ある出来事を通じて、対象がどのような「感情」を抱いたのかを指します。同じ映画を見ても、「怖い」と感じる人もいれば、「楽しい」と感じる人もいます。こうした感情は、本人に聞かなければ分からないものです。正の感情と負の感情の体験の頻度から人の幸せを捉えようとするものです。
第二は「評価」です。これは、人生や生活全体を振り返り、総合的にどれくらい満足しているかを自分自身で評価するものです。体験としては同じであっても、ある人は高く評価し、別の人は低く評価することがあります。このように、体験と評価は異なる概念として区別されます。
第三は「意味」です。意味とは、自分の人生の意味や生きがいをどのように感じられているかによって、人の幸せの度合いを捉えようとするものです。つらい経験があっても、「あれがあったから今がある」と感じられるならば、意味は高くなります。
興味深いのは、この三つの側面がそれぞれ異なる要因に左右されるという点です。体験は「誰と一緒にいるか」に大きく影響され、評価は「自己決定」や「選択肢の多さ」と関係が深いとされます。意味については、まだ国際的な知見の蓄積が十分ではなく、今後の研究課題となっています。
人の主観的な幸せ実感を測定することは新しいチャレンジであり、かつては懐疑的な見方もありました。しかし、測定技術の進歩と蓄積されたデータによる科学的検証に基づき、現在ではその可能性について広く議論される状況にあります。主観的ウェルビーイングという新しい概念・指標が、人々の生きる豊かさを照らし、よりよい地域社会の創造につながっていくことをこれからも期待したいと思います。
■吉田陽介先生による中国現地ルポNo.26 内需拡大につながる「ヒトへの投資」
構造改革は中国経済の重要な課題の1つだ。これまで、中国は不景気になると、アクセルをふかして財政出動を行った。こうしたやり方は、インフラが整っていなかった時期には経済波及効果が見られたが、一定のレベルに達すると、経済効果をさほど見られなくなる。固定資産投資に依存する景気刺激策は限界にきており、経済構造の転換が待たれている。イノベーションはそれを実現するための一部分である。
2015年は「インターネット+」で、モノづくりや小売り、行政機関での手続きでインターネットでの応用を目指したが、今は人工知能(AI)の応用に力を入れている。AIロボットが生産現場などで応用されるにつれ、労働者の働き方も、AIを意識した働き方に変わらざる得なくなる。企業はAIを活用し、単純労働、パターン化した労働をAIに置き換えるだろう。影響を受けた労働者をいかにして別の分野で働かせるかは重要な問題である。ゆえに、今年の「政府活動報告」で「ヒトへの投資」という概念が打ち出された。この概念の中身ははっきりと示されていなかったが、一部の中国メディアで専門家による解説が出された。
これまで重視されていた「モノへの投資」、特に不動産などへの投資は関連産業が多いため、大きな経済効果を生む。それゆえ、不動産は中国経済を支えていると言う声が一定数あったが、ここ数年、中国政府は「ヒトへの投資」の概念も文書で出すようになった。中国共産党第20期中央委員会第四回中全体会議では、「ヒトへの投資とモノへの投資の結合」を打ち出して、セットで取り組むことを目指している。
12月10〜11日まで開かれた中央経済工作会議では、八つの任務が打ち出されたが、ここで一番初めに提起されたのは、「内需主導を堅持し、強大な国内市場を築く」だ。
同会議の報道文によると、この「任務」の内容として、消費促進特別行動を深く実施し、都市農村住民増収計画を策定、実施する。良質の商品・サービスの供給を拡大する。「両新(設備更新と消費財買い替え・下取り)」政策の実施を最適化する。消費分野の不合理な規制措置を整理し、サービス消費の潜在力を引き出すなどの措置を挙げている。
中国人民大学経済学院執行院長の于春海教授は12月4日に中国共産党機関誌「求是」のWeChat版のインタビュー記事で、「内需の構成から見ると、近年、わが国の住民消費が国内総生産(GDP)に占める割合は39%前後で、総資本形成の割合は41%前後であり、投資率は消費率を上回っている」と述べ、「わが国の内需問題の主な問題は、一方では住民の消費需要が不足していることに起因し、他方では消費と投資の良好な相互作用(インタラクション)関係の十全化が待たれる」とも述べており、経済減速の影響で力強さに欠ける個人消費を回復させることが、今後の中国経済発展のカギだと見ている。
現在の中国の経済政策関連の文書を見ると、毛沢東時代の「十大関係論」のなかで書かれているように、「農業と工業の関係」「沿海地域と内陸地域の関係」を適切に処理するというように、複数の政策をバランス取りながら進めていく傾向にある。
中央経済工作会議でも、いくつかの措置が「政策支援と改革・革新の両方を堅持しなければならない」とし、「自由にやらせる」と同時に「しっかり管理する」に取り組むとともに、「モノへの投資とヒトへの投資の緊密な結合を堅持する」としている。
「ヒトへの投資」とは何か。中国共産党機関誌「求是」2025年24号に掲載された「内需拡大戦略の要請を深く把握する」と題する論評記事によると、「より多くの資源を教育、雇用、医療、社会保障などの民生分野に投入し、ヒトの能力向上、健康維持、職業発展と潜在力開発に投入し、消費の潜在力の喚起と人的資本の向上で経済の質の高い発展を推進する」ことをいう。
「教育、雇用、医療、社会保障」は、中国共産党が堅持する「人民の利益を第一に考える」という理念と、「人民に獲得感」が得られるようにするという目標を達成する上で重視すべき分野である。さらに重要なのは、「潜在能力開発」である。これは、「AI+」によって職を失った労働者への技能教育も含まれるものと思われる。
さらに言えば、「ヒトへの投資」は、関連消費の拡大だけでなく、中国経済の先行きへの期待(予想)を改善する上でもプラスとなる。とくに、雇用は個人消費に直結するため、この問題の解決は非常に重要である。
また同評論記事は、次のように述べている。
「ヒトへの投資」は「モノへの投資」に対して打ち出されたものであり、「モノを見てヒトを見る」という投資理念を体現し、過去の投資モデル、生産能力拡大モデルないし全体の発展モデルは十全化している。わが国経済は長期的に要素駆動、投資によるけん引に頼っており、「モノへの投資」の収益率は近年すでにやや低下している。グローバルな産業競争が「資本集約」から「人材集約」への転換のなかで、中国の経済成長の原動力メカニズムの転換を推進し、革新駆動、需要のけん引を実現するためには、ヒトへの投資を拡大し、人的資本の蓄積を推進し、「人的資本ボーナス」を形成する必要がある。このようにしてこそ、経済の長期的発展に関する競争力を構築し、新たな科学技術革命と産業変革のなかで戦略的主導権を勝ち取ることができる。
ここでは、「資本集約から人材集約への転換」と言われているが、ハード面での投資による一時的な経済効果ではなく、ソフト面の投資によって人材を育成、スキルの向上をはかることが、AI時代に対応することができるとしている。
「ヒトへの投資」は教育や高齢者ケアなどの面の投資も指しているが、雇用関連の投資は重要である。なぜなら、消費の拡大には一定の収入が必要だからである。
雇用問題のなかで、大卒者の就職問題の解決は重要だが、時代に合わなくなったスキルしか持たない社会人のリスキリングも重要だ。この問題は以前にも存在した。例えば、江沢民は一時帰休者の問題を論じたとき、「年齢が高く、単一の職業技能しか持たないため、再就職が特に困難な労働者が相当数存在する」と述べたことがある。当時は国有企業改革が行われており、「構造改革の過渡期」だったため、このような問題が存在した。現在もこうした「過渡期」にあり、求められるスキルも高度化しているため、「ヒトへの投資」の重要性は高まっている。
于教授は「求是」の中で、「現在、わが国の高技能人材は就業人口全体の7%しか占めておらず、技能労働者の求人倍率は長期的に2以上をキープしている。したがって、教育、研修、雇用、人材選抜などの人的資源の開発と人の全面的な発展投資を重視すべきである」と述べている。
労働者を再教育して新たなスキルを身につけさせるのは、個人消費の拡大、社会の安定にもプラスとなる。だが、リスキリングには問題がある。
第一に、教える側が必要な知識を教えられるかという問題である。
労働者にとって、必要なものは、仕事に直結するような知識である。教員が現場を知らなかったら、理論的知識偏重教育となり、学んだことが仕事に結びつきにくい。
例えば、筆者が従事している翻訳関連のテキストをみると、翻訳とは何かから始まり、理論的なことを述べているものも少なくない。もちろん、専門性を高めるには、技術論だけは限界があるが、まず第一線で活躍することを目標に置くならば、技術的知識・実習が重要だ。
第二に、今後、人材需要が大きな分野のスキルをつけるようにできるかということである。
新卒者など若年層は社会経験が乏しいため、視野が狭く、自分の理想とする職業、業種に行きたがる。今後、どの分野が伸びるか、人材ニースがあるかはなかなかわからない。長年同じ仕事に従事してきた労働者も、自分の経験してきたスキルはもとの職種でしか通用しないと考えがちだ。そのため、自分の持っているものから見れば、どのような仕事ができるかについてはなかなか考えられない。
新質生産力が発展するにつれ、従来の単純労働はAIに置き換えられる可能性が大きい。「インターネット+」時代は、多くの雇用を宅配業だったが、宅配にもロボットが入りつつある。また、以前は高度な専門知識が必要だった翻訳・通訳も、ヒトの役割が小さくなると言われており、扱うものによっては小さくなっている。そうしたなかで、翻訳者や通訳者の場合は、語学スクールの教員などになる者もいる。
AI時代でもなくならない仕事は、営業職や介護職、教員など相手の求めに応じたサービスができるものといわれているが、こうした業種へのスキルを取得できるようにすることが将来の生活にとってもプラスになることを、専門知識を持ったキャリアカウンセラーらにアドバイスすることも望ましい。こうした体勢を整えることも、「ヒトへの投資」ではないかと考える。
来年は第15期五カ年計画が始まる年だ。「ヒトへの投資」は同計画の方針を決めた第20期四中全会の重要な概念であるため、今後5年間は「モノへの投資」と結びつけて行われるものと思われる。労働面での「ヒトへの投資」がどのようにして行われるかは、今後の展開に注目する必要がある。
新潟県上越市での企業見学会が開催されました。
(公財)ふくい産業支援センターと当研究所との共催で、12月11日(木)に新潟県上越市にて「産業技術先進地調査企業見学会」が開催されました。今回は、北陸新幹線を活用した企業間交流の促進を意図したもので、県内企業8社11名、産業支援センターから4名、県立大から3名、計18名が参加しました。
北陸新幹線の上越妙高駅に集合、マイクロバスで市の施設に移動、当研究所の松原所長から「技術軌道を活かした上越市企業の発展」について説明を受けた後、9月にできたばかりの(株)有沢製作所のイノベーションセンター、新和メッキ工業(株)の工場を見学しました。その後、「チタンのまち・上越」の取り組みについてお話しをうかがうとともに、チタンの発色体験に挑戦しました。



■中島精也先生による時事経済情報No.124
PDFファイルはこちら
多文化共生に関する地域経済研究フォーラムが開催されました。
12月5日(金)、地域経済研究所企業交流室にて、「福井県の多文化共生:越前市の事例から」をテーマに、第5回地域経済研究フォーラムが開催されました。最初に、当研究所の佐々井 司教授が、福井県内の市町の外国人の推移を全国動向とあわせて整理し、島根県出雲市や群馬県大泉町など他地域との比較も踏まえながら論点を提示しました。続いて、本学看護福祉学部の永井裕子准教授が、越前市「みんなの食堂」を起点に、学習支援や日本語・就学支援、国籍や障害、性別、世代を問わない参加の場づくり等へと実践が広がっている点を紹介しました。討論では、人手不足への対応は単に「人を集める」ことではなく、言語・教育・子育て・福祉と就労を結びつけた受け入れ基盤を整え、誰もが働き続け、暮らし続けられる環境をつくることが重要であることを確認しました。こうした取組が、地域の担い手確保と地域経済の持続性にいかにつながるか、今後の越前市・福井県の取組の方向性について考えました。



ヘリテージ研究の視点で産業観光の場を議論する
鉱山や工場関連の産業遺産や産業観光をずっと研究対象としている。そんな中先月、越前市今立地区にて毎年実施されている今立現代美術紙展、および福井最大の産業観光イベントRENEWを見学してきた。産業遺産などの文化遺産や自然遺産といった、過去から引き継がれてきたヘリテージの活用の議論にあたっては、人間の創造性を刺激することによるイノベーションやアートとのつながりの話がよくなされる。ところが実はこういうものを研究対象としているにもかかわらず私自身は、絵画や彫刻、音楽といった芸術といわれているもの全般について、自ら手掛けるどころか鑑賞することもあまり得意でない。
それに対し、今回見学したイベントにおいては、こうしたアートやデザインという視点が大変重要視されている。街歩きしつつ、何の下調べもせずにふらっと、味のある古民家に立ち寄ったら、そこがまさに現代美術紙展の会場で、作者も同席しており、自ら作品解説してくださった。私のような造詣のない者がこのような機会を得られることはそうはない。まさにヘリテージが人の心を動かし、創造性を刺激する場面を目の当たりにすることとなった。
この地域の産業の存立において、ヘリテージはどのような役割を果たしているか。生産活動に直接関連する工場建築物等に話を限ると、学術的に評価され、文化財など公的に価値づけられたヘリテージはそれほど多いわけではない。この点、そうした価値が高く評価され、2024年に世界遺産登録された「佐渡島の金山」などと比べると状況が異なる。
一方で、RENEWのオープンファクトリー企画において立ち入らせてもらった、越前塗りの諸工程の工房、今立の製紙所、鯖江の眼鏡工房などにおいては、現実に何十年も前から現在にわたり使われ続けてきた工場建屋や、今となっては再び生産する術のない金型や素材を用いて、職人の熟練した技により、独創的な製品が生み出されていく現場を実際に目にし、工房や工場全体の雰囲気と、職人の皆さんの仕事への姿勢が、私を含む見学者の心を動かす様子を間近にすることができた。
ヘリテージ研究においては、その保存における専門家主義が論点となってきた。専門家が評価して定まった各ヘリテージは、価値を維持し続けるためにそのままの状態で保存され続けることを求められる。その結果ヘリテージは、それにずっと親しんできた地域住民の日常から切り離されたものとなっていく。「博物館送り」という言葉が象徴的だ。だが、現代美術紙展やRENEWで私の見聞きしたヘリテージは、その状況とは対照的なものであった。それらに深く関わってきた人々が、ヘリテージを過去の人々から引き継いできたと自覚し、自己表現の手段として様々な形で活用している。
ヘリテージを巡り、特に税金の無駄遣いを許さないという視点から常に出てくる意見として、次のようなものがある。「結局のところ、昔の姿を残しているからといって、今は使われていない時代遅れのそれを、金と手間をかけて残していくことに何の意味があるのか」。その答えの一つとして「ヘリテージは過去を振り返るためだけに保存されているのではない。これは未来のことを考えていくために必要なのだ」という考え方がある。今回の経験においては、ヘリテージを場とし、生産者、クリエイター、地域住民、観光客といった属性の異なる人々が一時的に一堂に会し、様々な形でコミュニケーションを取る。そのような場がヘリテージであることには様々な意味があるはずだ。ヘリテージを場とし、様々な属性の人々が集まり、コミュニケーションを取ることによる新たな価値の創発の可能性について、研究を進めたいと考えている。
第6回地域経済研究フォーラム「ウェルビーイングをデザインする ~テクノロジー・組織・教育のフロンティア~」
人の幸福、健康、福祉などを広範に包含するウェルビーイング(幸せ実感)という概念に近年世界中で注目があつまっています。社会の価値観が大きく変わる中で、ウェルビーイングを軸とした社会づくりが広がりつつあり、本フォーラムでは、ウェルビーイングを「デザインする」方法を具体的事例を基に考えます。
ウェルビーイングを支える触覚や身体感覚に着目した最新のテクノロジーにはじまり、ウェルビーイングを推進するISO規格による組織づくり。加えて、教育現場にウェルビーイングを取り入れるための考え方と実践方法としての「ウェルビーイング・コンピテンシー」まで、幅広い実践事例をご紹介いただきます。
テクノロジー、組織、教育を横断し、これからの社会に求められるウェルビーイングのつくりかたを展望します。
チラシはこちら
お申込みはこちら
■中島精也先生による時事経済情報No.123
PDFファイルはこちら
ふくい地域経済研究第41号
日本人のノーベル賞の受賞を喜びながら、イノベーションについて福井で考えてみた
10月第1週は「ノーベル賞週間」でした。2025年のノーベル賞は、坂口志文大阪大学免疫学フロンティア研究センター特任教授・京都大学名誉教授が、「制御系T細胞の発見」などの業績で、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。翌日には、北川進京都大学副学長が、「MOF(金属有機構造体)の開発」などの業績でノーベル化学賞を受賞しました。自然科学系のノーベル賞を日本人が4年ぶりに受賞したことで、日本中が大きな喜びに湧きました。今年の坂口先生と北川先生の2人のノーベル賞受賞で、自然科学系の日本人受賞者(国籍保有者)の累計は27人となり、米国(285人)、英国(89人)、ドイツ(73人)、フランス(39人)に次いで5位になりました(6位はスイスとスウェーデンの各18人)。
福井県でノーベル賞といえば、2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎先生を忘れてはいけません。南部先生は、福井市立進放小学校(現・福井市立松本小学校)から旧制・ 福井中学校(現・福井県立藤島高等学校)を4年修了した福井県ゆかりのノーベル賞受賞者です。南部先生のノーベル賞受賞を契機に「南部陽一郎記念ふくいサイエンス賞」が設立され、福井県内の小学生・中学生・高校生を顕彰するなど、南部先生のノーベル賞受賞は、今も福井県の学術振興につながっています。
ところで、世界の学術界で、ノーベル賞が最も権威のある賞であることを疑う人はいません。その受賞を国民がこぞって喜びます。では、ノーベル賞の受賞者数を国別ランキングにして国民が喜ぶのは、オリンピックで金メダル獲得を応援するのと同じような、日本の学術研究の成果に対する国民の高揚感からでしょうか?
自然科学系のノーベル賞の対象は、基礎研究分野です。基礎研究は、その後は応用研究、そして開発研究へと発展し、最終的には新薬や新製品などの商品として市場に投入されます。画期的な新商品は、社会を変革する、いわゆるイノベーションを発現させる可能性を有しています。このように、イノベーションを起こすには、そのタネとなる基礎科学の成果が必要です。もっとも、基礎研究がイノベーションとして実を結ぶには長い年月がかかります。数年では役立たないかもしれませんが、真理の探究を目指した基礎研究の着実な蓄積が、数十年後にイノベーションを引き起こすには不可欠です。日本人がノーベル賞の受賞をオリンピックでの金メダル獲得のように喜ぶのは、学術成果への高揚感に加えて、将来の日本経済をけん引するイノベーションのタネを発見した研究者への称賛があるといえます。しかし、イノベーションを発現させるには、基礎研究の成果だけではなく、基礎研究の成果をイノベーションにつなげる仕組みも重要です。
そこで、福井県内の研究者が英語で発表した自然科学論文数(2020年)の全国シェアをみると0.33%です。一方、福井県の特許出願数(2024年)の全国シェアは0.15%に過ぎません。論文シェアの半分以下しか特許出願のシェアはありません。特許発明者数(2024年)の全国シェアは0.2%と、出願数のシェアよりも若干高い数字です。このような全国シェアを比較すると、福井県では、数少ない基礎研究(科学論文)の成果が、特許という新商品のタネ、そしてイノベーションにつなげる仕組みが弱いのでは、という仮説も考えられます。大学研究者を中心とした論文という基礎研究の成果が、企業を中心とした開発研究による特許出願へとつなげる地域イノベーションシステムの強化が求められているのかもしれません。
先日の10月23日(木)と24日(金)は、福井産業会館で「北陸技術交流テクノフェア」が開催され、209の企業や団体がブース出展し、技術マッチングや商談で2万人近くの多くの技術者や研究者が参加し、交流を深めました。福井県には、シェアトップの企業が多数存在し、製造業(ものづくり企業)の厚い集積が特徴です。会場通路を歩くのも困難なほど多数の技術者が集まった北陸テクノフェアの熱気に触れて、福井県における地域イノベーションシステムを社会科学として政策研究する重要性を改めて感じました。






