2023年2月
ナーガールジュナ――「縁起・無自性・空」――
このメルマガで昨年、一昨年と言語批判哲学の話をさせてもらいました。今年は真打登場です。ナーガールジュナ(150頃-250頃、中国名「龍樹」)です。彼は八宗の祖、つまり大乗仏教諸派全体の祖とされます。そして彼の思想の中心は『中論』で展開される「縁起・無自性・空」の「空の論理」です。そうナーガールジュナは実は言語批判哲学者なのです。
1 縁起:「一切は縁起(原因)によって起こる」というブッダの縁起説を、ナーガールジュナは哲学的・論理的に徹底して考え抜きます。彼は縁起を因果関係ではなくより広く「相互相依(そうごそうえ)」の関係、つまり相互依存の関係として捉えます。つまり、一切の事物は他の事物との相互依存関係によって成り立っていると考えます。論敵は、説(せつ)一切(いっさい)有部(うぶ)達の「実体論」です。勿論彼らも仏教者として「諸行無常」を認める以上、個々の事物は生滅変化するものであり、実体ではありません。しかしこの事物の背後に、椅子ならそれを椅子とし、机ならそれを机とする普遍的本質、言葉の普遍的意味、仏教用語で「自性」を想定します。ナーガールジュナはこの自性を徹底して否定するのです。
では、椅子はなぜ「椅子」と呼ばれるのか。通常は椅子の概念、「椅子」という言葉の意味によってだと考えます。しかしナーガールジュナは相互相依の関係によってだとします。例えば、「父-子」は相互に依存しあってセットで成立しています。父なくして子はない。子なくして父もない。子が生まれて初めてその子の父となります。父のもとに生まれて初めてその父の子となります。お互いがお互いを成立させています。「長い-短い」も、長いがなくて短いはあり得ません。短いがなくては長いもあり得ません。お互いに依存しあってセットで成立しています。つまり一切の事物は縁起つまり関係性によって成立しているのです。
2「無自性」:この縁起はいわば「関係性のネットワーク」、言語でいえば「言葉の意味のネットワーク」です。「父」は「子」だけではなく「母」「祖母」「祖父」「叔母」「叔父」「孫」・・・といった血縁に関する語と意味上のネットワークを成しています。そしてこのネットワークを拡大すれば、ものの見方・考え方、世界観となっていきます。問題はこの意味のネットワークは永遠不変なのかという点です。ものの見方や世界観は時代や場所さらに個人によっても異なり得ます。縁起あるいは言葉の意味は永遠不変ではなく、変化しまた消滅してしまう事もあり得ます。つまり縁起によって成立している事物は、その縁起が変化すればその事物も変化し、縁起がほどけてしまえばその事物も消失してしまいます。これを事物の側から見れば、事物はある縁起によって仮に成立している、一時的に成立しているものという事になります。つまり事物それ自体では「本質」「意味」そして「自性」を持たない、「無自性」なものなのです。
3 空:さらに縁起は人間が自分たちの都合で作り出したもの、言葉は人間が便利に都合よく生きていくための道具として発明したものだとすれば、縁起や言葉以前の世界はどのような世界なのでしょうか。いかなる規定も意味もない、無規定・無意味の世界、つまり「空」です。しかし空は「無」ではありません。無においては何も成立しませんが、空は無規定・無意味ですが、成立しうるあらゆる縁起や意味の可能性を孕んでいます。
4 まとめ:一切は縁起によって成立しているから無自性であり、一切が無自性であるから世界は空という事になります。人間が自分の都合で縁起を結ばない限り、空そのものには「夢」も「希望」もありません。しかし「絶望」も「苦」もまたないのです。