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日本の産業クラスター政策2.0
2025年10月の第219回国会での高市内閣総理大臣の所信表明演説を読んで、次の一文に目が留まった。「地方に大規模な投資を呼び込み、地域ごとに産業クラスターを戦略的に形成していくことで、『地域未来戦略』を推進します」。
私は、2013年に『日本のクラスター政策と地域イノベーション』と題した本を刊行しているが、そのはしがきで、「世界に視野を拡げると、クラスターの進化や地域イノベーションの推進を、最重要の政策課題としている国や地域は少なくない。・・・日本でこうした施策(2001年からの経済産業省による「産業クラスター計画」と2002年からの文部科学省による「知的クラスター創成事業」)をやめてしまってよいのだろうかという疑問が大きくなり、本書の刊行にいたった」と述べている。
2000年代の「第1期のクラスター政策」の問題、そうした過去を振り返る余裕はなく、現政権は、産業クラスター政策を推進することに余念がない。地域未来戦略本部が昨年11月に設置され、12月に第1回の会合が開催され、「地域未来戦略」で取り組む内容について、①「地域ごとに戦略産業クラスター計画を策定」すること、②「知事主導で各都道府県における地場産業の成長プランを策定」することが、両輪として掲げられた。
その後、2026年3月に開催された関係副大臣等会議(第2回)では、3つのクラスター計画として、①戦略産業クラスター(都道府県域をまたぐ地域ブロック単位のものを主に想定)、②地域産業クラスター(市町村域をまたぐ都道府県単位のものを主に想定)、③地場産業成長プラン(市区町村~都道府県単位のものを主に想定)が示され、クラスターの概要、計画要件、策定プロセスなどが整理されている。さらに、春頃には「戦略産業クラスター計画の素案」の公表、5月には「戦略産業クラスター計画」の策定といった足早のスケジュールが提示されている。
これに即応すべく北陸では、2025年12月と26年2月に、「北陸戦略産業クラスター」に関する会議が開催され、私も地域経済研究所の地域産業分析の成果を報告した。今後は、戦略産業クラスター計画素案の策定と県からの大規模投資案件のプロジェクト提案へと進んでいくことになる。
ところで、両輪の一方の「地場産業」という表現に違和感を抱いていたところ、2025年12月下旬に示された「地域未来戦略の策定に向けた考え方(案)」において、知事主導で計画される「地域産業クラスター」が新たに打ち出された。上述の第2回関係副大臣等会議の資料3では、これについて、「知事等主導で形成されるクラスターであって、力を入れる産業分野及び重点支援をすべきコネクター度・ハブ度の高い企業を特定し、複数自治体の連携促進や中堅企業支援策の適用など、政府の施策の戦略的活用をプッシュ型で提案していくことで、その形成・拡大を目指すもの」とされている。また、このクラスターの要件には、有望度、実現可能性、費用対効果、域内への波及、自治体のコミットメント等に加えて、「EBPМメルクマール」が挙げられている点も注目される。資料3は、新たな政策立案の手法を踏まえた優れた文書といえるが、これを理解するにはこの間の産業立地政策についての理解が不可欠と思われる。第1期の産業クラスター政策の反省を活かした新たな施策の展開を期待したい。
■中島精也先生による時事経済情報No.127
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受け入れ態勢は大丈夫?
3月は卒業、4月は新入社員の受け入れ。日本の企業にとって人材の節目の季節。福井でも、多くの企業が入社式や研修の準備を進めているだろう。しかし、本当に「受け入れ態勢」は整っただろうか。
福井の企業には、互いの顔が見える規模の職場が多い。人数が限られるからこそ、新人一人の成長が、そのまま現場の力に直結する。逆に言えば、育成がうまくいかなければ、仕事は回らなくなる。ここで問われるのは、新人本人の資質以上に、育てる側の視点と力量になる。
新人育成において欠かせないのが、仕事をQCDで捉える視点。ここでいうQCDは、単なる製造業の管理指標ではない。Qは機能品質と態度品質、Cは投入工数、Dは逆算思考を意味している。新人がつまずいたとき「できていない」という結果だけを見てしまいがちだが、本来は、Q・C・Dのどこに課題があるのかを見極める必要がある。
たとえば誤字や脱字など、資料にミスが目立つ場合、それは機能品質(Q)の理解不足かもしれないし、報連相ができない、指示を受け止めきれないといった問題は、態度品質(Q)に起因することが多い。態度品質は「やる気」や「性格」で片づけられがちだが、社会人として求められる基準を明確に伝え、具体的に教えなければ改善は難しい。社員間の心理的距離が近い職場ほど「言わなくても分かるはずだ」という前提が働きやすい。
仕事に時間がかかりすぎる場合も、本人の能力不足と決めつけるのは性急すぎる。新人にとっては初めての作業がほとんどで、想定以上に時間がかかるのは自然なこと。問題は、投入工数(C)の見立てや作業分解、優先順位付けを、育成担当者が示せているかにある。人手が限られる企業ほど「見て覚えて」が今でも残りやすいが、それだけでは仕事は受け継がれていかないし、いつまでも任すことができない。
さらに重要なのがD、すなわち逆算思考である。締め切りから逆算して「いつまでに、何を、どのレベルで」仕上げるのかを描けない新人が目立つ。これは個人の問題というより、逆算の思考プロセスを教わっていないことが起因していることが多い。育成担当者自身がその考え方を言語化し、手本として示すことが求められる。
新人の仕事の出来・不出来は、本人の資質以上に、育成担当者の力量に左右される。Q・C・Dのどれが不足しているのかを冷静に見極め、適切な指導を行えるかどうか。それができて初めて、新人は成長し、組織全体の力が底上げされていく。受け入れシーズンの今こそ、企業は新人だけでなく、育てる側の準備状況も問い直したい。
新人育成は、知識や手順を教えることだけではない。本質的には、組織が自らの仕事の進め方を見直す機会でもある。新人は、職場の暗黙の前提を浮かび上がらせる貴重な存在。「なぜこのやり方なのか」と問われて答えられないとき、その仕事は属人的もしくは無駄が多い作業になっている可能性が高い。
福井の職場には、互いに助け合う文化がある。だからこそ、新人が安心して質問できる空気を職場につくれるかどうかが、今後の定着を左右する。教える側が言葉にすることで、仕事や判断の基準が共有され、組織の再現性も高まっていく。新人の成長は、個人の成長だけではなく、組織の成熟度を測る指標でもある。
受け入れの季節とは、新人を迎える時期であると同時に、福井の職場が育ち直す季節でもあるのではないだろうか。
■中島精也先生による時事経済情報No.126
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■吉田陽介先生による中国現地ルポNo.27 中国政府が「中国の老舗」を重視するワケ
春節(今年は2月17日)で、故郷に帰省する中国人が買うお土産といえば、真空パックの北京ダックや中国の老舗の一つ「北京稲香村」(1895年設立)の中国菓子が「定番」だ。春節で帰省するとき、同店の菓子をお土産に持って帰るという中国人は少なくない。「北京稲香村」のお菓子類は包装もきれいで、味もいいので、筆者も地方出張へ行くときはよく持っていく。
今の中国は、改革開放の初期とは違い、ニーズが高度化している。贈り物の購入は、ブランドを重視する。なぜなら、有名ブランドは、味はもちろんのこと、質も保証されているので、安心して贈れるからだ。逆に、新興ブランドの商品は、安くても贈り物にはあまりしない。
中秋節には月餅が売られており、春節の最終日である「元宵節」は「湯圓(タンユエン)」と呼ばれる日本でいう白玉団子も売られている。普通のスーパーで売られているものより割高だが、消費者の支持を得ている。
「老舗の伝統を守れ」
中国の最高指導者が老舗訪問
春節を目前に控えた2月9日から10日に、習近平総書記は北京の科学技術イノベーションパークや養老(高齢者ケア)サービス街区、春節を前にした町を視察した。10日付の「人民日報」は「習総書記は菓子店の稲香村に入り、菓子の種類と特色を理解し、菓子の現場で作られているのを見て、この北京の老舗を伝承し、発展させてほしいと店主に言った」と伝えた。
「人民日報」は訪問の事実のみを伝えていたが、11日付の「新京報」はやや詳しい記事が掲載された。記事は訪問先の「稲香村」の店長に取材し、習総書記が北京稲香村の店舗数、ブランドの歴史、本店の位置などについて質問した。「総書記が北京稲香村に対する関心を持っていることを感じ取ることができた」と話したことを伝えるとともに、「総書記は店舗で蜜三刀(ごまたっぷりの生地を揚げ、蜜に浸したお菓子)、奶油麻花(クリーム風味のねじり揚げ菓子)、開花棗(開いた棗の花をイメージした揚げ菓子)という3種類の菓子を購入した」と報じた。
この春節の連休、同店は、習総書記が買ったお菓子を買い求める客が少なくなかったそうだ。
中国では最高指導者の言葉は「方針性」を持っており、講話はもちろんのこと、発言の中で言及された事柄は、今後中国が重視する分野と解釈できる。今回の視察で、習総書記が立ち寄ったところから考えると、今後、イノベーション問題、高齢者ケア問題、文化関連消費の振興をより重視するとみられる。「老子号」についていうと、習総書記が講話をして提起したわけではないが、公式メディアに報道されたことで、国が一定程度重視していることがわかる。
中国の老舗が政策文書に出てきた理由
「老子号」については、全人代の文書でも登場している。2017年の「計画報告(国民経済・社会発展の執行状況と計画草案に関する報告)」で初めて「中華老子号(中国の老舗)」という名前が出てきた。「報告」では、「中華老字号」の保護と伝承をはかる」と述べている。直近2年の「計画報告」でも「老字号」の名前が出てきている。計画報告では、消費拡大や消費環境について述べる項目で述べられており、消費の活性化策の一つとして「老子号」を重視するという中国政府の姿勢がうかがえる。
また、「老子号」の継承・発展が消費関連の措置として論じられるのは、中国人の消費が文化的要素を考慮するようになったことを示している。経済が一定程度に発展すると、人々の生活が「芸術化」し、「見栄えの良い」ものを求めるようになる。筆者が中国での生活を始めた時は、どちらかといえば、外国のものが見栄えのいいものとされていたようだが、今はやや事情が違っている。
ここ数年、「国潮」消費という言葉が出てきて、漢服を着る女性をよく見るようになり、観光地で売られるアイスクリームも、中国特有のデザインになっている。それは、中国のモノだけを大事にし、外国製品を排斥するというものではなく、中国製品の質が向上していることも意味する。2022年に開かれた北京冬季オリンピックのマスコットキャラクター「ビンドゥンドゥン(冰墩墩)」を見ればわかるように、中国の若者にも受け入れられるようになっている。
昨年3月に発表された「消費喚起特別行動プラン」では、中国の文化的消費について、次のように述べている。
1、観光地・景勝地および文博(文物・博物館)機関がサービスプロジェクトを拡大する。
2、中華の優れた伝統文化を製品設計に融け込ませ、オリジナル知的財産権(IP)ブランドの開発を支援し、アニメ、ゲーム、eスポーツおよびその周辺派生商品などの消費を促進する。
3、「国貨潮品(国産ブランドのトレンド商品)」の国内外での増量市場(新規市場)を開拓する。
4、「中国での購入」シリーズ活動を展開し、中国の有名消費財陣を構築する。
ここでは直接、「老子号」について述べられていないが、3と4の措置では役割を発揮することができるのではないかと筆者は考える。今回の習総書記の視察で話に出た「北京稲香村」はいずれも長い歴史を持っており、これらの店の製品は「中国特有」の製品と言ってよい。
中国の蒸留酒である「白酒(バイジュウ)」は、茅台などの有名ブランドの商品は海外にも輸出されている。比較的有名な「白酒」を飲んだことのある読者はわかると思うが、一度飲むと、また飲みたくなる。そのため、「白酒」はリピーターの獲得が見込まれる商品だ。このことは、「海外進出」を促した一要因でないかと考える。
昨年開かれた中国共産党第20期中央委員会第四回全体会議(第20期四中全会)で発表された「決定」には、「文化事業の繁栄」、「優れた文化企業・文化ブランドの育成」「文化と観光の高度な融合」「文化で経済・社会の発展を後押し」といった措置が盛り込まれており、特に、最後に挙げた措置は、文化製品または「コーヒー+伝統的観光地」というような「外来文化+伝統文化」、「伝統的製品+文化観光」といった消費の拡大にプラスになる。
そのなかで、「老子号」の製品も中国特有の文化を示すためのもので、ここで示されたような「文化+経済」発展の措置に合うものである。
現在、中国政府は「新質生産力」の概念を掲げ、新技術を用いた商品の開発を重視しているが、生活者に向けた商品のレベルでいうと、「見栄えのいいもの」はもちろんのこと、「人々を懐かしい気持ちにさせる」商品も一定のニーズがあるだろう。ゆえに、中国の文化消費の拡大の面で、「老子号」は一定屋の役割を果たすことができるのではないかと考えられる。
福井県立大学地域政策学部について
今春、福井県立大学に新しい学部が誕生する。地域政策学部である。我々、地域経済研究所の研究や資源を基にして作られる。来年以降では福井駅前にキャンパスを創り、駅前の活性化にも寄与することとなるが、本年
度に関しては永平寺のキャンパスにおいて基礎を学ぶ予定となっている。学部自体の正式な誕生は、4月ではあるがすでに報道されている通り、推薦入学他によって多くの学生の入学がすでに決定している。またこの受験シーズンにもこの学部を目指して受験の最後の頑張りをされている方々、それを見守るご家族の方々も多いと思う。我々教員もその入学予定の方々の期待に添うべく、講義その他のカリキュラムの詳細設計を行っているところである。何せ新しい学部であるところから、新しい学部ならではの多くの工夫を盛り込まねばならない。一方、他の学部との調整その他も必要である。
その新しい工夫の目玉となる内容の一つが、様々な学年で盛り込まれ、また必須の科目であるフィールドワーク関連の講義である。座学、すなわち書物や講義で学んだ理論等を決してないがしろにすることなく、それでもそれら理論を実践に活かすために、フィールドを自らの目で見て、聞き、歩き、走り、感じて、そして、考える必要がある。
これらは大学や教員だけでできることではなく、地域の皆様のご理解、ご協力がなければ成立しえない。すでに協力をお願いし、また了承をしてくださっている組織や団体、個人の方々も多い。感謝に堪えないが、まだまだ足りない部分や領域もある。また迷惑をおかけすることもあるかもしれない。また学生や教員の失敗もあるかもしれない。ただ失敗から学ぶことも多いし、失敗するのは背伸びし、現在の限界ギリギリまで追求した結果の失敗ならば、それは高い確率で次の成功につながるはずである。
最近の「若者」は、失敗を過剰に恐れ、チャレンジしない、などと言われる。確かにその傾向は目につくところではある。しかし、新しい学部においては、フィールドにおいてそれを鍛え、チャレンジする学生を育てていきたい。新しい学部の設置そのものが、本学にとってもチャレンジである。昨年度の恐竜学部設置とともに、大学業界からは福井県立大学はこの少子化時代に何を、といわれることもある。しかし、地域の皆様の応援の声に支えられてここまで来た。
真の地域活性化には、新しいチャレンジをし、イノベーションをする人材が必要ある。それを担う地域政策学部の誕生を、これからも応援してくださることをお願いする。
■中島精也先生による時事経済情報No.125
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主観的ウェルビーイングの3つの側面
先日、主観的ウェルビーイングに関する本格的な教科書である『ウェルビーイング学 -理論・エビデンス・実践-』(慶応義塾大学出版会)を出版することができました。そこで、”主観的ウェルビーイング”にまつわる小話をコラムにてお届けできればと思います。
昨今、人の幸福、健康、福祉などを包含するウェルビーイング(Well-being)という概念に関心があつまっています。そのウェルビーイングを大別しますと、①客観的ウェルビーイングと、②主観的ウェルビーイングの二つがあります。
客観的ウェルビーイングとは、対象の状態のよしあしを外部から観察可能な客観指標で評価する概念であり、社会を対象とする場合にはGDPや平均寿命、平均教育年数などが用いられます。一方、主観的ウェルビーイングとは、対象となる自身の状態について主観的にどのように感じているのかを指し、外部からの観察では分かり得ないものです。たとえば、対象が「個人」として、客観的な指標(例:年収や職業など)で見ると恵まれているように外部観察者が判断しても、実際に本人が自身の状態のよしあしを主観的にどのように感じているのかは、外部からは評価できないものです。
そして、公共政策や企業経営等において注目されているのは、後者の”主観的ウェルビーイング”となります。
現在の国際的な共通理解では、主観的ウェルビーイングは三つの側面から捉えられるとされています。第一は「体験」です。ある出来事を通じて、対象がどのような「感情」を抱いたのかを指します。同じ映画を見ても、「怖い」と感じる人もいれば、「楽しい」と感じる人もいます。こうした感情は、本人に聞かなければ分からないものです。正の感情と負の感情の体験の頻度から人の幸せを捉えようとするものです。
第二は「評価」です。これは、人生や生活全体を振り返り、総合的にどれくらい満足しているかを自分自身で評価するものです。体験としては同じであっても、ある人は高く評価し、別の人は低く評価することがあります。このように、体験と評価は異なる概念として区別されます。
第三は「意味」です。意味とは、自分の人生の意味や生きがいをどのように感じられているかによって、人の幸せの度合いを捉えようとするものです。つらい経験があっても、「あれがあったから今がある」と感じられるならば、意味は高くなります。
興味深いのは、この三つの側面がそれぞれ異なる要因に左右されるという点です。体験は「誰と一緒にいるか」に大きく影響され、評価は「自己決定」や「選択肢の多さ」と関係が深いとされます。意味については、まだ国際的な知見の蓄積が十分ではなく、今後の研究課題となっています。
人の主観的な幸せ実感を測定することは新しいチャレンジであり、かつては懐疑的な見方もありました。しかし、測定技術の進歩と蓄積されたデータによる科学的検証に基づき、現在ではその可能性について広く議論される状況にあります。主観的ウェルビーイングという新しい概念・指標が、人々の生きる豊かさを照らし、よりよい地域社会の創造につながっていくことをこれからも期待したいと思います。
■吉田陽介先生による中国現地ルポNo.26 内需拡大につながる「ヒトへの投資」
構造改革は中国経済の重要な課題の1つだ。これまで、中国は不景気になると、アクセルをふかして財政出動を行った。こうしたやり方は、インフラが整っていなかった時期には経済波及効果が見られたが、一定のレベルに達すると、経済効果をさほど見られなくなる。固定資産投資に依存する景気刺激策は限界にきており、経済構造の転換が待たれている。イノベーションはそれを実現するための一部分である。
2015年は「インターネット+」で、モノづくりや小売り、行政機関での手続きでインターネットでの応用を目指したが、今は人工知能(AI)の応用に力を入れている。AIロボットが生産現場などで応用されるにつれ、労働者の働き方も、AIを意識した働き方に変わらざる得なくなる。企業はAIを活用し、単純労働、パターン化した労働をAIに置き換えるだろう。影響を受けた労働者をいかにして別の分野で働かせるかは重要な問題である。ゆえに、今年の「政府活動報告」で「ヒトへの投資」という概念が打ち出された。この概念の中身ははっきりと示されていなかったが、一部の中国メディアで専門家による解説が出された。
これまで重視されていた「モノへの投資」、特に不動産などへの投資は関連産業が多いため、大きな経済効果を生む。それゆえ、不動産は中国経済を支えていると言う声が一定数あったが、ここ数年、中国政府は「ヒトへの投資」の概念も文書で出すようになった。中国共産党第20期中央委員会第四回中全体会議では、「ヒトへの投資とモノへの投資の結合」を打ち出して、セットで取り組むことを目指している。
12月10〜11日まで開かれた中央経済工作会議では、八つの任務が打ち出されたが、ここで一番初めに提起されたのは、「内需主導を堅持し、強大な国内市場を築く」だ。
同会議の報道文によると、この「任務」の内容として、消費促進特別行動を深く実施し、都市農村住民増収計画を策定、実施する。良質の商品・サービスの供給を拡大する。「両新(設備更新と消費財買い替え・下取り)」政策の実施を最適化する。消費分野の不合理な規制措置を整理し、サービス消費の潜在力を引き出すなどの措置を挙げている。
中国人民大学経済学院執行院長の于春海教授は12月4日に中国共産党機関誌「求是」のWeChat版のインタビュー記事で、「内需の構成から見ると、近年、わが国の住民消費が国内総生産(GDP)に占める割合は39%前後で、総資本形成の割合は41%前後であり、投資率は消費率を上回っている」と述べ、「わが国の内需問題の主な問題は、一方では住民の消費需要が不足していることに起因し、他方では消費と投資の良好な相互作用(インタラクション)関係の十全化が待たれる」とも述べており、経済減速の影響で力強さに欠ける個人消費を回復させることが、今後の中国経済発展のカギだと見ている。
現在の中国の経済政策関連の文書を見ると、毛沢東時代の「十大関係論」のなかで書かれているように、「農業と工業の関係」「沿海地域と内陸地域の関係」を適切に処理するというように、複数の政策をバランス取りながら進めていく傾向にある。
中央経済工作会議でも、いくつかの措置が「政策支援と改革・革新の両方を堅持しなければならない」とし、「自由にやらせる」と同時に「しっかり管理する」に取り組むとともに、「モノへの投資とヒトへの投資の緊密な結合を堅持する」としている。
「ヒトへの投資」とは何か。中国共産党機関誌「求是」2025年24号に掲載された「内需拡大戦略の要請を深く把握する」と題する論評記事によると、「より多くの資源を教育、雇用、医療、社会保障などの民生分野に投入し、ヒトの能力向上、健康維持、職業発展と潜在力開発に投入し、消費の潜在力の喚起と人的資本の向上で経済の質の高い発展を推進する」ことをいう。
「教育、雇用、医療、社会保障」は、中国共産党が堅持する「人民の利益を第一に考える」という理念と、「人民に獲得感」が得られるようにするという目標を達成する上で重視すべき分野である。さらに重要なのは、「潜在能力開発」である。これは、「AI+」によって職を失った労働者への技能教育も含まれるものと思われる。
さらに言えば、「ヒトへの投資」は、関連消費の拡大だけでなく、中国経済の先行きへの期待(予想)を改善する上でもプラスとなる。とくに、雇用は個人消費に直結するため、この問題の解決は非常に重要である。
また同評論記事は、次のように述べている。
「ヒトへの投資」は「モノへの投資」に対して打ち出されたものであり、「モノを見てヒトを見る」という投資理念を体現し、過去の投資モデル、生産能力拡大モデルないし全体の発展モデルは十全化している。わが国経済は長期的に要素駆動、投資によるけん引に頼っており、「モノへの投資」の収益率は近年すでにやや低下している。グローバルな産業競争が「資本集約」から「人材集約」への転換のなかで、中国の経済成長の原動力メカニズムの転換を推進し、革新駆動、需要のけん引を実現するためには、ヒトへの投資を拡大し、人的資本の蓄積を推進し、「人的資本ボーナス」を形成する必要がある。このようにしてこそ、経済の長期的発展に関する競争力を構築し、新たな科学技術革命と産業変革のなかで戦略的主導権を勝ち取ることができる。
ここでは、「資本集約から人材集約への転換」と言われているが、ハード面での投資による一時的な経済効果ではなく、ソフト面の投資によって人材を育成、スキルの向上をはかることが、AI時代に対応することができるとしている。
「ヒトへの投資」は教育や高齢者ケアなどの面の投資も指しているが、雇用関連の投資は重要である。なぜなら、消費の拡大には一定の収入が必要だからである。
雇用問題のなかで、大卒者の就職問題の解決は重要だが、時代に合わなくなったスキルしか持たない社会人のリスキリングも重要だ。この問題は以前にも存在した。例えば、江沢民は一時帰休者の問題を論じたとき、「年齢が高く、単一の職業技能しか持たないため、再就職が特に困難な労働者が相当数存在する」と述べたことがある。当時は国有企業改革が行われており、「構造改革の過渡期」だったため、このような問題が存在した。現在もこうした「過渡期」にあり、求められるスキルも高度化しているため、「ヒトへの投資」の重要性は高まっている。
于教授は「求是」の中で、「現在、わが国の高技能人材は就業人口全体の7%しか占めておらず、技能労働者の求人倍率は長期的に2以上をキープしている。したがって、教育、研修、雇用、人材選抜などの人的資源の開発と人の全面的な発展投資を重視すべきである」と述べている。
労働者を再教育して新たなスキルを身につけさせるのは、個人消費の拡大、社会の安定にもプラスとなる。だが、リスキリングには問題がある。
第一に、教える側が必要な知識を教えられるかという問題である。
労働者にとって、必要なものは、仕事に直結するような知識である。教員が現場を知らなかったら、理論的知識偏重教育となり、学んだことが仕事に結びつきにくい。
例えば、筆者が従事している翻訳関連のテキストをみると、翻訳とは何かから始まり、理論的なことを述べているものも少なくない。もちろん、専門性を高めるには、技術論だけは限界があるが、まず第一線で活躍することを目標に置くならば、技術的知識・実習が重要だ。
第二に、今後、人材需要が大きな分野のスキルをつけるようにできるかということである。
新卒者など若年層は社会経験が乏しいため、視野が狭く、自分の理想とする職業、業種に行きたがる。今後、どの分野が伸びるか、人材ニースがあるかはなかなかわからない。長年同じ仕事に従事してきた労働者も、自分の経験してきたスキルはもとの職種でしか通用しないと考えがちだ。そのため、自分の持っているものから見れば、どのような仕事ができるかについてはなかなか考えられない。
新質生産力が発展するにつれ、従来の単純労働はAIに置き換えられる可能性が大きい。「インターネット+」時代は、多くの雇用を宅配業だったが、宅配にもロボットが入りつつある。また、以前は高度な専門知識が必要だった翻訳・通訳も、ヒトの役割が小さくなると言われており、扱うものによっては小さくなっている。そうしたなかで、翻訳者や通訳者の場合は、語学スクールの教員などになる者もいる。
AI時代でもなくならない仕事は、営業職や介護職、教員など相手の求めに応じたサービスができるものといわれているが、こうした業種へのスキルを取得できるようにすることが将来の生活にとってもプラスになることを、専門知識を持ったキャリアカウンセラーらにアドバイスすることも望ましい。こうした体勢を整えることも、「ヒトへの投資」ではないかと考える。
来年は第15期五カ年計画が始まる年だ。「ヒトへの投資」は同計画の方針を決めた第20期四中全会の重要な概念であるため、今後5年間は「モノへの投資」と結びつけて行われるものと思われる。労働面での「ヒトへの投資」がどのようにして行われるかは、今後の展開に注目する必要がある。
■中島精也先生による時事経済情報No.124
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