福井県立大学地域経済研究所

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■吉田陽介先生による中国現地ルポNo.26 内需拡大につながる「ヒトへの投資」

北京理工大学外国語学部 吉田陽介

構造改革は中国経済の重要な課題の1つだ。これまで、中国は不景気になると、アクセルをふかして財政出動を行った。こうしたやり方は、インフラが整っていなかった時期には経済波及効果が見られたが、一定のレベルに達すると、経済効果をさほど見られなくなる。固定資産投資に依存する景気刺激策は限界にきており、経済構造の転換が待たれている。イノベーションはそれを実現するための一部分である。

2015年は「インターネット+」で、モノづくりや小売り、行政機関での手続きでインターネットでの応用を目指したが、今は人工知能(AI)の応用に力を入れている。AIロボットが生産現場などで応用されるにつれ、労働者の働き方も、AIを意識した働き方に変わらざる得なくなる。企業はAIを活用し、単純労働、パターン化した労働をAIに置き換えるだろう。影響を受けた労働者をいかにして別の分野で働かせるかは重要な問題である。ゆえに、今年の「政府活動報告」で「ヒトへの投資」という概念が打ち出された。この概念の中身ははっきりと示されていなかったが、一部の中国メディアで専門家による解説が出された。

これまで重視されていた「モノへの投資」、特に不動産などへの投資は関連産業が多いため、大きな経済効果を生む。それゆえ、不動産は中国経済を支えていると言う声が一定数あったが、ここ数年、中国政府は「ヒトへの投資」の概念も文書で出すようになった。中国共産党第20期中央委員会第四回中全体会議では、「ヒトへの投資とモノへの投資の結合」を打ち出して、セットで取り組むことを目指している。

12月10〜11日まで開かれた中央経済工作会議では、八つの任務が打ち出されたが、ここで一番初めに提起されたのは、「内需主導を堅持し、強大な国内市場を築く」だ。

同会議の報道文によると、この「任務」の内容として、消費促進特別行動を深く実施し、都市農村住民増収計画を策定、実施する。良質の商品・サービスの供給を拡大する。「両新(設備更新と消費財買い替え・下取り)」政策の実施を最適化する。消費分野の不合理な規制措置を整理し、サービス消費の潜在力を引き出すなどの措置を挙げている。

中国人民大学経済学院執行院長の于春海教授は12月4日に中国共産党機関誌「求是」のWeChat版のインタビュー記事で、「内需の構成から見ると、近年、わが国の住民消費が国内総生産(GDP)に占める割合は39%前後で、総資本形成の割合は41%前後であり、投資率は消費率を上回っている」と述べ、「わが国の内需問題の主な問題は、一方では住民の消費需要が不足していることに起因し、他方では消費と投資の良好な相互作用(インタラクション)関係の十全化が待たれる」とも述べており、経済減速の影響で力強さに欠ける個人消費を回復させることが、今後の中国経済発展のカギだと見ている。

現在の中国の経済政策関連の文書を見ると、毛沢東時代の「十大関係論」のなかで書かれているように、「農業と工業の関係」「沿海地域と内陸地域の関係」を適切に処理するというように、複数の政策をバランス取りながら進めていく傾向にある。

中央経済工作会議でも、いくつかの措置が「政策支援と改革・革新の両方を堅持しなければならない」とし、「自由にやらせる」と同時に「しっかり管理する」に取り組むとともに、「モノへの投資とヒトへの投資の緊密な結合を堅持する」としている。

「ヒトへの投資」とは何か。中国共産党機関誌「求是」2025年24号に掲載された「内需拡大戦略の要請を深く把握する」と題する論評記事によると、「より多くの資源を教育、雇用、医療、社会保障などの民生分野に投入し、ヒトの能力向上、健康維持、職業発展と潜在力開発に投入し、消費の潜在力の喚起と人的資本の向上で経済の質の高い発展を推進する」ことをいう。

「教育、雇用、医療、社会保障」は、中国共産党が堅持する「人民の利益を第一に考える」という理念と、「人民に獲得感」が得られるようにするという目標を達成する上で重視すべき分野である。さらに重要なのは、「潜在能力開発」である。これは、「AI+」によって職を失った労働者への技能教育も含まれるものと思われる。

さらに言えば、「ヒトへの投資」は、関連消費の拡大だけでなく、中国経済の先行きへの期待(予想)を改善する上でもプラスとなる。とくに、雇用は個人消費に直結するため、この問題の解決は非常に重要である。

また同評論記事は、次のように述べている。

「ヒトへの投資」は「モノへの投資」に対して打ち出されたものであり、「モノを見てヒトを見る」という投資理念を体現し、過去の投資モデル、生産能力拡大モデルないし全体の発展モデルは十全化している。わが国経済は長期的に要素駆動、投資によるけん引に頼っており、「モノへの投資」の収益率は近年すでにやや低下している。グローバルな産業競争が「資本集約」から「人材集約」への転換のなかで、中国の経済成長の原動力メカニズムの転換を推進し、革新駆動、需要のけん引を実現するためには、ヒトへの投資を拡大し、人的資本の蓄積を推進し、「人的資本ボーナス」を形成する必要がある。このようにしてこそ、経済の長期的発展に関する競争力を構築し、新たな科学技術革命と産業変革のなかで戦略的主導権を勝ち取ることができる。

ここでは、「資本集約から人材集約への転換」と言われているが、ハード面での投資による一時的な経済効果ではなく、ソフト面の投資によって人材を育成、スキルの向上をはかることが、AI時代に対応することができるとしている。

「ヒトへの投資」は教育や高齢者ケアなどの面の投資も指しているが、雇用関連の投資は重要である。なぜなら、消費の拡大には一定の収入が必要だからである。

雇用問題のなかで、大卒者の就職問題の解決は重要だが、時代に合わなくなったスキルしか持たない社会人のリスキリングも重要だ。この問題は以前にも存在した。例えば、江沢民は一時帰休者の問題を論じたとき、「年齢が高く、単一の職業技能しか持たないため、再就職が特に困難な労働者が相当数存在する」と述べたことがある。当時は国有企業改革が行われており、「構造改革の過渡期」だったため、このような問題が存在した。現在もこうした「過渡期」にあり、求められるスキルも高度化しているため、「ヒトへの投資」の重要性は高まっている。

于教授は「求是」の中で、「現在、わが国の高技能人材は就業人口全体の7%しか占めておらず、技能労働者の求人倍率は長期的に2以上をキープしている。したがって、教育、研修、雇用、人材選抜などの人的資源の開発と人の全面的な発展投資を重視すべきである」と述べている。

労働者を再教育して新たなスキルを身につけさせるのは、個人消費の拡大、社会の安定にもプラスとなる。だが、リスキリングには問題がある。

第一に、教える側が必要な知識を教えられるかという問題である。

労働者にとって、必要なものは、仕事に直結するような知識である。教員が現場を知らなかったら、理論的知識偏重教育となり、学んだことが仕事に結びつきにくい。

例えば、筆者が従事している翻訳関連のテキストをみると、翻訳とは何かから始まり、理論的なことを述べているものも少なくない。もちろん、専門性を高めるには、技術論だけは限界があるが、まず第一線で活躍することを目標に置くならば、技術的知識・実習が重要だ。

第二に、今後、人材需要が大きな分野のスキルをつけるようにできるかということである。

新卒者など若年層は社会経験が乏しいため、視野が狭く、自分の理想とする職業、業種に行きたがる。今後、どの分野が伸びるか、人材ニースがあるかはなかなかわからない。長年同じ仕事に従事してきた労働者も、自分の経験してきたスキルはもとの職種でしか通用しないと考えがちだ。そのため、自分の持っているものから見れば、どのような仕事ができるかについてはなかなか考えられない。

新質生産力が発展するにつれ、従来の単純労働はAIに置き換えられる可能性が大きい。「インターネット+」時代は、多くの雇用を宅配業だったが、宅配にもロボットが入りつつある。また、以前は高度な専門知識が必要だった翻訳・通訳も、ヒトの役割が小さくなると言われており、扱うものによっては小さくなっている。そうしたなかで、翻訳者や通訳者の場合は、語学スクールの教員などになる者もいる。

AI時代でもなくならない仕事は、営業職や介護職、教員など相手の求めに応じたサービスができるものといわれているが、こうした業種へのスキルを取得できるようにすることが将来の生活にとってもプラスになることを、専門知識を持ったキャリアカウンセラーらにアドバイスすることも望ましい。こうした体勢を整えることも、「ヒトへの投資」ではないかと考える。

 来年は第15期五カ年計画が始まる年だ。「ヒトへの投資」は同計画の方針を決めた第20期四中全会の重要な概念であるため、今後5年間は「モノへの投資」と結びつけて行われるものと思われる。労働面での「ヒトへの投資」がどのようにして行われるかは、今後の展開に注目する必要がある。