福井県立大学地域経済研究所

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ヘリテージ研究の視点で産業観光の場を議論する

福井県立大学 地域経済研究所 准教授 森嶋俊行

 鉱山や工場関連の産業遺産や産業観光をずっと研究対象としている。そんな中先月、越前市今立地区にて毎年実施されている今立現代美術紙展、および福井最大の産業観光イベントRENEWを見学してきた。産業遺産などの文化遺産や自然遺産といった、過去から引き継がれてきたヘリテージの活用の議論にあたっては、人間の創造性を刺激することによるイノベーションやアートとのつながりの話がよくなされる。ところが実はこういうものを研究対象としているにもかかわらず私自身は、絵画や彫刻、音楽といった芸術といわれているもの全般について、自ら手掛けるどころか鑑賞することもあまり得意でない。

 それに対し、今回見学したイベントにおいては、こうしたアートやデザインという視点が大変重要視されている。街歩きしつつ、何の下調べもせずにふらっと、味のある古民家に立ち寄ったら、そこがまさに現代美術紙展の会場で、作者も同席しており、自ら作品解説してくださった。私のような造詣のない者がこのような機会を得られることはそうはない。まさにヘリテージが人の心を動かし、創造性を刺激する場面を目の当たりにすることとなった。

 この地域の産業の存立において、ヘリテージはどのような役割を果たしているか。生産活動に直接関連する工場建築物等に話を限ると、学術的に評価され、文化財など公的に価値づけられたヘリテージはそれほど多いわけではない。この点、そうした価値が高く評価され、2024年に世界遺産登録された「佐渡島の金山」などと比べると状況が異なる。

 一方で、RENEWのオープンファクトリー企画において立ち入らせてもらった、越前塗りの諸工程の工房、今立の製紙所、鯖江の眼鏡工房などにおいては、現実に何十年も前から現在にわたり使われ続けてきた工場建屋や、今となっては再び生産する術のない金型や素材を用いて、職人の熟練した技により、独創的な製品が生み出されていく現場を実際に目にし、工房や工場全体の雰囲気と、職人の皆さんの仕事への姿勢が、私を含む見学者の心を動かす様子を間近にすることができた。

 ヘリテージ研究においては、その保存における専門家主義が論点となってきた。専門家が評価して定まった各ヘリテージは、価値を維持し続けるためにそのままの状態で保存され続けることを求められる。その結果ヘリテージは、それにずっと親しんできた地域住民の日常から切り離されたものとなっていく。「博物館送り」という言葉が象徴的だ。だが、現代美術紙展やRENEWで私の見聞きしたヘリテージは、その状況とは対照的なものであった。それらに深く関わってきた人々が、ヘリテージを過去の人々から引き継いできたと自覚し、自己表現の手段として様々な形で活用している。

 ヘリテージを巡り、特に税金の無駄遣いを許さないという視点から常に出てくる意見として、次のようなものがある。「結局のところ、昔の姿を残しているからといって、今は使われていない時代遅れのそれを、金と手間をかけて残していくことに何の意味があるのか」。その答えの一つとして「ヘリテージは過去を振り返るためだけに保存されているのではない。これは未来のことを考えていくために必要なのだ」という考え方がある。今回の経験においては、ヘリテージを場とし、生産者、クリエイター、地域住民、観光客といった属性の異なる人々が一時的に一堂に会し、様々な形でコミュニケーションを取る。そのような場がヘリテージであることには様々な意味があるはずだ。ヘリテージを場とし、様々な属性の人々が集まり、コミュニケーションを取ることによる新たな価値の創発の可能性について、研究を進めたいと考えている。