「お茶でもどうですか?」
“ウェルビーイング(Well-being)”という、「身体的・精神的・社会的によい状態」を表す概念に、世界中で注目が集まっている。心身の健康の重要性はこれまでもよく言われてきた。それだけでなく、人の幸せには、社会的に良好な状態、すなわち“社会的つながり”が重要であることをメッセージとして持つのが、このウェルビーイングという概念の大きなポイントだ。
つながりが幸せに重要であるとする研究は世界中に数多くあるが、私自身がそれを強く認識するようになったのは、3年間滞在し国づくりの協力を行った、ブータン王国でのことだった。
ブータンでは、人々のウェルビーイングの調査を大事にしている。若き調査員がブータン全土をかけ回り、対象者に2時間半ほどかけて丁寧に質問をしていく。私も同行したが、スジャと呼ばれるバター茶をどのおうちも出してくれ、歓迎してくれた。その中で、印象に残っている一つのシーンがある。
南部の県の、44世帯、人口300人ほどの村でのこと。「あなたが病気になった時にとても頼りにできる人は何人いますか?」という質問に対して、成人をむかえたばかりのブータン人男性は「50人ぐらいですね。」と回答してくれた。日本人の私の眼からすると過疎の村であるが、彼が軽やかに回答してくれた数の多さにびっくりしてしまった。同時に、自分の場合、何人と回答するだろうと考えさせられた。
ブータンにも日本同様に課題は当然あるが、ブータンの生活の基層には、この社会的つながりの豊かさがあると実感した一場面だった。
コロナ禍の生活を振り返ってみると、気づいたことがあった。私たち人は、人と人とが出会い集まるような機会に、何かを一緒に飲むということをすごく大事にしてきた、ということだ。「お茶でもどうですか?」「一緒に一杯どう?」この言葉達が使えなくなったとたん、なんだか急に、会う術の大半を失ってしまうような感覚すら覚えたのを記憶している。
イギリスでは紅茶を。イタリアではエスプレッソで団欒。はたまた、アフリカのエチオピアではコーヒーだけでなく、コーヒーと紅茶を二層にし嗜む。日本にはお茶があり、居酒屋でビールを飲む姿も定番だ。方や、南太平洋の島国フィジーでは、カバと呼ばれる木の根を乾燥させ水に混ぜたものを飲む。鎮静効果があるとされる。日本の場合、日常ではあまり感情を表に出さず、飲み会の場ではお酒で気分を盛り上げて仲間との時間をたのしむ。一方、フィジーでは、普段は各々すごく陽気で、カバを飲んで気持ちを落ち着かせることで仲間との時間を過ごす。幸せのカタチが異なるのと同様に、飲み交わしてきた飲み物も世界各国でかくも異なるのだ。
ただ、コップの中身こそ違えど、それを通じ、大切な人たちと“ともに居る”ということを幸せの源泉にしていることに世界中なんら変わりはない。
「お茶でもどうですか?」と言える日常に感謝したい。