福井県立大学地域経済研究所

メールマガジン

  • 因果関係とAI

    因果応報。自業自得。身から出たさび。

    ヒトは物事に原因を求めるのが好きだ。そして結果がうまくいかなかったときはこう考える。
    「次は同じ結果にならないように、違う過程を踏もう」

    うまくいったときは同じ手順で同じ結果を求めようとする。ヒトはたぶん、生まれ落ちてからこの思考と行動を繰り返している。

    結果が出て、時計の針を戻せないのがわかっているにもかかわらず、遡って原因を探る。そして次はこれまでの経験を踏まえ、よく考えながら歩みを進める。結果と過程のどちらが大事という問題ではなく、結果がすべてであり、そのためにも過程が重要だと解釈したい。

    ヒトの知的好奇心が結果に原因を求めるのであろうか。その拠り所は、経験値に長けた長老の先を読む力から、科学的知見とそれに基づく論理的思考へと変化してきた。謎の相関が観測されていた事象間に、因果関係が明らかになっていく。科学技術の飛躍的進歩によって、世の中のすべての事象間の関係性が、やがて解明されるのではないかという幻想を抱かせる。

    ところが、ヒトが発明したAI(人工知能)がこの流れを一変させようとしている。現在の科学的知見と論理的思考では、”風が吹けば桶屋が儲かる”と同じくらい荒唐無稽に思えるような関係性を、AIが”答え”として導き出しつつある。ヒトが与えた多変量解析等のツールを単純に高速に処理しているわけではないため、ヒトはその答えに至る過程を理解できない。

    ところで、AIの興味は相関関係の強さにあり、因果関係の認否はどうでもいい。いや、因果関係をデータで測ることはできないことのほうが多いという表現のほうが正しい。ヒトは、そこに現時点における科学的知見と論理的思考から、勝手に因果関係を認否しているに過ぎないのかもしれない。

    私が作成したデータ分析に関する教材には、”相関関係と因果関係(の違い)”を解説した箇所がある。そのページが時代遅れになる日も近いと感じている。

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  • 「黒い白鳥」に怯える世界経済

    通常は白く美しいはずの白鳥が、突然変異で黒い個体が現れることがある。これをあり得ないこと、予測できないことに喩えて「ブラック・スワン」と言うことがある。東日本大震災のような大規模自然災害や、サブプライムローン危機から派生した世界金融危機が近年のブラック・スワンの最たるものであろう。2016年には2つのブラック・スワンが見られた。1つは昨年6月におこなわれたイギリスにおける国民投票で、欧州連合からの離脱いわゆるBrexitが予想を裏切って決まった。今ひとつはアメリカの大統領選であり、大方の下馬評を覆してドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ合衆国大統領に選出された。いずれも政治の世界の出来事ではあるが、世界経済にも大きな影響それもネガティブなインパクトとなって現れるであろうとみられていた。

    しかしながら、今年2017年の先進国を中心とした世界経済はここまで堅調であり、マーケット特に株式市場は米ダウが史上最高値を何度も更新するほどである。トランプ新大統領の経済政策に期待をかける「トランプ・ラリー」だけでは説明がつかないことが多々起きている。こうした背景もあり、アメリカの金融政策はQE(量的緩和政策)から政策金利を段階的に上げる出口戦略を進めることはすでに織り込まれている。こうしたアメリカの政策転換は、途上国・新興国からの資金引き上げと、これらの国・地域の成長鈍化を招くことはこの数年来言われてきたことでもある。またこの数年の原油など世界のコモディティ価格の大幅下落により、資源輸出国の経済パフォーマンスは相当悪化している。そのため、かつてBRICsと表現された高成長新興国市場にも、大きくその陰を落としている。

    その中で、常に世界の成長センターであり続けたのがアジアの経済圏であり、中核となったのは、中国でありASEANであり現在ではインドが成長を牽引し始めている。こうした世界経済の「アジア一本足打法」は、1992年の南巡講話以降の中国高度成長による寄与が大きかった中で、現在が最も顕著であろう。アジア経済のコンスタントな成長は当然ながら望ましいが、1990年代から大きな自律的調整もなく伸び続けてきた特に中国のような国は、社会的にも経済的にも大きな構造調整、リバランスの必要性を抱え続けている。こうした内的要因にアジア通貨危機のような偶発的な外的要因が加わった場合、見えていなかったアジア経済の脆弱性が一気に現れる可能性がある。

    グローバル化の進展により、地域の変動が世界経済へ与える波及効果は大きなものになっている。2007年のサブプライムローン危機に端を発する世界金融危機では、アメリカの市場原理主義の故であるとの声が聞かれた。しかし現在ではアジアの経済規模が格段に大きくなっていることから、アジアにおける危機的な負の事象は世界的な影響をもつだろう。また逆に欧米など先進国でそれが起きた場合にも、アジアの受けるダメージはさまざまな経路で拡散するであろう。今年はアジア通貨危機から20年、世界金融危機から10年が経過している。「ブラック・スワン」はどのような形で潜んでいるか判然としないが、長期におけるその出現の確率は非常に高いことを念頭に入れておくべきだろう。

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  • 国際標準化戦略で日本再生を

    グローバリゼーションによって「競争のルール」が変わったと言われるが、今、現実に起きているのは「ルール(国際標準化)の競争」である。背景には、95年に発効されたWTO/TBT協定がある。これは、制度や規格が貿易上の不必要な障害とならないように、国内規格を国際規格に準拠させることを原則義務付けるものである。さらに、96年発効のGPA協定では、政府調達における技術仕様も国際規格に準拠することを義務付けている。これが問題となったのは、JR東日本が01年、ソニーが開発した国際標準未取得のFelica方式のICカード(Suica)を調達しようとした際のことだ。モトローラからWTO政府調達違反として異議が申し立てられたのである。たまたま、モトローラ方式ICカードの国際標準が成立前であったため、申し立ては却下。その後、Felica方式も国際標準化されたものの、日本の国際標準化への対応の遅れと認識の甘さが露呈されることとなった。

    一方、ヤクルトは2010年、コーデックス委員会に働きかけ、乳酸菌飲料を発酵乳規格の4つ目のカテゴリーとして位置付けることに成功。国際的な認知度が高まるとともに、健康食品としての認定を受けたことで、イタリアでは、付加価値税が20%から10%以下に低減されるなど売り上げ拡大につながっている。

    このように、TBT協定によって、国を問わず、国際標準が競争のルールとなり、国際標準化が各国産業や企業の国際競争力を決定づける重要な要素となったのである。一方、オリンピックやF1の例を挙げるまでもなく、ルール改正を通じて、日本はいつも苦渋を味わってきた。由々しき事態は、企業の海外展開においても起こっている。例えば、タイの自動車税制はこれまで、日本に有利なHV優位の(車両構造に基づく)税制だったが、ドイツ自動車工業会がタイ政府に働きかけた結果、欧州に有利なCO2排出基準ベースの物品税制に変わってしまった事案がある。
    こうしたことから、日本政府は今、国際標準化戦略を通商政策の中心に位置づけている。今後、特に、緊要と思われるのが以下の3点だ。
    (1) 標準化人材の育成
    問題なのは、事の重大さに気づいていない経営層が多いことと、標準化のビジネスインパクトについての評価指標が確立していないことである。これでは、いくら優秀な人材がいたとしても、やる気も起きまいというもの。まずは、経営層の意識を変えていくことだ。
    (2) 日系グローバル認証機関の実現
    国際標準化に際して、第三者認証機関の存在は不可欠だ。そこで、問題視されているのがグローバルな日系認証機関の不在である。海外の巨大な認証機関に比べると、国内の認証機関は規模も小さく海外展開も遅れている。いきおい、グローバルな海外認証機関に依頼せざるを得ないのが実情であろう。ところが、割高なコストや外国語対応への負担に加え、認証取得に時間がかかることで海外展開に遅れを生じるといった問題が報告されているのだ。さらに、性能規定化されている場合には、詳細技術情報が国外流出する恐れもある。このため、ある国内メーカーでは、自社開発製品の国際規格を2つ取った際、リスク分散のため、それぞれ別の国の認証機関に依頼しているという。今後、日本が世界に誇る上下水道や交通システム、エネルギー・プラントといったインフラの海外展開を円滑に進めていくためにも、グローバルな日系認証機関の出現が望まれる。
    (3) 標準化活動におけるアジアへの貢献を通じた連携強化
    新たな国際規格として承認を得るには、数の力が必要である。そのためには、まず、価値観が近いアジアの中でまとまること。わけても、日本との信頼関係が厚いASEAN諸国との連携は不可欠だ。この点において、近年、日本がアジア諸国と連携し、インバータエアコンの性能について適正に評価されるISO規格を制定したこと。さらに、ベトナムがそれに基づく省エネ性能の評価基準を導入しようとした際に、日本が技術支援など環境整備の協力を行ったことは特筆に値する。一方、ASEAN経済共同体における基準認証分野の調和に関しては欧州勢が積極的に支援しており、日本は後手に回っているのが気懸りである。

    こうしてみると、グローバル競争時代においては、たとえ、一企業といえども、ルールに対して受動的ではなく能動的に向き合うことが必要だろう。一方、今日のグローバルルールにはローマ帝国やそれに続く中世ヨーロッパに淵源を持つものが多いと言われるように欧州勢には一日の長がある。しかし、彼らも決して万能なわけではない。EUでは、政策決定の過程に民意が十分に反映されないといった「民主主義の赤字」問題を抱えていることもまた事実である。大事なのは、環境保護、人権擁護、貧困撲滅、自由貿易などといった国際社会が共有する理念や原則を踏まえつつ、日本再生のためのグローバルなルール作りに、今こそ、オールジャパンとして打って出ることではないだろうか。

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  • 付加価値貿易からみたASEAN地域のバリューチェーン

    従来の貿易統計は総額で表示するため、国際分業が進行する現代の貿易構造を的確に捉えきれないことは広く知られています。たとえば、中国は米国に対してiPhoneを大量に輸出していますが、中国の付加価値輸出額は輸出総額の10%にも満たないとされています。貿易の真の姿をより明らかにするため付加価値額の統計を整備する試みが、近年盛んに行われてきました。

    付加価値額で表示した貿易の推移については、OECD(経済協力開発機構)とWTO(世界貿易機関)が共同で開発し2013年に初めて公表したTiVA(付加価値貿易)が最も包括的であるといわれています。TiVAのデータを利用すれば、付加価値貿易額を誰でも容易に算出できます。

    さて、このTiVAを利用すれば、バリューチェーンの趨勢を知ることができます。そのためにはまず、付加価値総輸出をDVA(国内付加価値)とFVA(外国付加価値)に分解します。次に、DVAには自国から他国に輸出する財・サービスの付加価値と他国から第3国に輸出する財・サービスの付加価値があり、後者とFVAの和を付加価値輸出額で除します。このようにして算出した数値がバリューチェーンへの参加指数であり、GVC(世界のバリューチェーン)とRVC(地域のバリューチェーン)、それぞれの参加指数を求めることができます。最後に、RVCへの参加指数をGVCへの参加指数で除することで、特定の地域が世界大と地域大のバリューチェーン、どちらに参加する傾向にあるかについて把握できます。

    筆者は試みに、ASEAN(東南アジア諸国連合)、EU(欧州連合)、NAFTA(北米自由貿易協定)の3つの地域統合体を対象として、TiVAの利用が可能な1995年から2011年までを対象期間にとり、それぞれのバリューチェーンの推移を分析しました。以下では分析結果をもとに、ASEANのバリューチェーンの特徴について述べたいと思います。

    まず、ASEAN地域のバリューチェーンは他の地域統合体のものと比べて脆弱です。ASEANのRVC参加指数は2011年時点で12.8%ですが、これは同年のEUの33.5%、NAFTAの13.6%よりも低い水準に留まっています。ASEANの輸出品はEUやNAFTAのものと比べ、域内で価値が付加されない傾向にあります。

    しかしながら、EUとNAFTAにおいては地域のバリューチェーンの重要性が徐々に低下しているのに対して、ASEAN地域のバリューチェーンは逆に存在感を増してきているのです。EUの場合、1995年時点ではRVC参加指数がGVC参加指数の44.6%を占めていましたが、2011年には41.2%にまで落ち込みました。NAFTAはその傾向がより顕著であり、1995年には30.8%でしたが2011年には24.2%まで下落しています。1990年代以降のEUとNAFTAでは域内国からの輸入が域外国からの輸入に置き換わり、域内第3国への輸出の主体は域内国から域外国へと変わってきました。ところがASEANのRVC/GVC比率は、1995年の18.3%から2011年の19.4%へと速度こそ緩やかではありますが上昇しています。近隣に日本や韓国、中国があり、特に製造業においてこれらの国から中間財の輸入が増大してきたにもかかわらず、ASEANは域内からの輸入を重視し、域内輸出に傾倒してきたのです。

    ASEANはEUやNAFTAと異なり、広範囲の製造業でRVCの重要性が高まりを見せています。産業内貿易をみてみますと、RVC/GVC比率が著しく上昇したのは輸送機械産業と食品・飲料産業であり、2011年の両産業の比率は1995年の約1.7倍を記録しました。輸送機械産業に関してはタイ、食品・飲料産業に関してはマレーシアの域内輸入額及び第3国輸出額が突出して多く、両国が中心となって域内のバリューチェーン構築を進めてきたといえるでしょう。

    もっとも、RVCの参加指数やRVC/GVC比率の水準自体はEUやNAFTAのものと比較しても低いことからもわかるように、ASEAN地域のバリューチェーンには発展の余地が多く残されています。バリューチェーンをさらに拡充するためには、域内のハード・ソフトのインフラを開発し連結性を強化するとともに、さらなる産業振興を図る必要があります。

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  • 「今春の人事異動から考える」

    日本では春が最も人が動く、すなわち人口移動の起こる季節です。学校はもちろんのこと、ほとんどの事業所が年度単位で稼働しているからに他なりません。ここ地域経済研究所においても3月末で4人の研究員が転出し、4月初頭に2名の研究員が新たに配属される大異動がありました。所長も南保教授に代わり、地経研も中身が随分と様変わりしましたので、皆様には是非ご来所いただき、多くのご教授・ご鞭撻を賜れば幸いです。お待ちしております。

    さて、春の人口移動がいかに多いかは人口関連の統計でも垣間見ることができます。適当な資料として、総務省統計局『住民基本台帳人口移動報告』が挙げられます(http://www.stat.go.jp/data/idou/index.htm)。タイトルの通り住民基本台帳上の住所地の変更届の情報をもとに集計され統計として毎月公表されています。

    1年間に届け出のある市区町村間の住所地移動件数は、近年500万前後で推移しています。出生数は昨(2016)年とうとう100万人を下回った可能性があり今後どこまで減り続けるか現段階では分からない状況です。死亡数は人口の高齢化に伴い1960年代後半から増加基調にあり、現在では年間130万人強に達しているものの、団塊世代の方々が90歳を迎える2040年前後に年間死亡者数のピーク期が来ると、先般公表された国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成29年推計)」(http://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2017/pp_zenkoku2017.asp)は示しています。その数、約170万人ですから、わが国における人口動態のなかでも人口移動がいかに大きなインパクトを持っているか、お分かりかと思います。

    年間の移動数が500万件と書きましたが、人口比にすると100人に4人が動いている計算になります。性別でみると男性が50%強、年齢でみると20歳代と30歳代前半で50%以上を占めています。そして季節でみると3月・4月の2か月で1年間の3分の1強の移動が生じています。このような人口移動の構造上の傾向は高度経済成長の時代からほとんど変わっていません。一方で顕著な変化もみられます。人口移動総数の減少、とりわけ男性の都道府県間移動の急減です。

    人口減少と高齢化によって移動する年齢帯の人口が減っていることが主な要因ですが、男性の県を跨ぐ移動が減っているのは経済環境とりわけ雇用情勢に影響を受けているからだと推察されます。

    人口が動くこと自体が経済と強く相関しています。人口減少と少子高齢化という趨勢は、同時に人口移動の減少に拍車をかけるため、国全体の経済成長にはマイナス要因になる可能性があります。とは言え、”一億総活躍社会”が動けない人や動きたくない人をも無理やり動かすような社会とならないよう、気を付けなければいけないかもしれません。

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  • 「勝山左義長まつり」を訪ねて

    先般、縁あって福井県東北部の城下町、勝山市を訪れることができた。ところで、同市の歴史的遺産を一つ挙げるとすれば、「越国」の僧、泰澄(たいちょう)大師によって確立された白山信仰の一大拠点、平泉寺が今もその姿を残していることであろう。最盛期には48社36堂6千坊を誇り、越前文化の中心的存在であったともいわれている。天正2年(1574年)に一向一揆勢により焼き討ちに合うが、その9年後の天正11年(1583年)、平泉寺に戻った僧たち(顕海僧正と、その弟子専海、日海たち)が平泉寺の再興に着手、現在残る平泉寺白山神社を建立した。その後、江戸時代にはこの地の大名たちから手厚い保護を受け白山信仰の拠点としてその土台を築いた。

    平泉寺が焼き討ちにあった後の当地は、柴田勝安が一向一揆を鎮め、袋田村に勝山(袋田)城を築き統治したと聞く。勝山の地名は一向一揆勢が立てこもった御立山(通称村岡山)を「勝ち山(かちやま)」と呼んだことから起こったといわれている。江戸時代の元禄4年(1691年)には小笠原氏が入封し、明治に至るまで藩政が続いた。

    また、江戸時代の当地の産業といえば、17世紀の後半から始まった煙草栽培が有名である。そのほか、繭(まゆ)、生糸、菜種などがよく知られている。特に、幕末に藩政改革を行った林毛川(はやしもうせん)は、煙草の生産に着目し専売を目指した政策を進めた。そして、この時培った販路の開拓手法、品質の改善力は、明治時代の繊維産業へと引き継がれていくのである。
    廃藩置県後 、機業が勃興し、羽二重を中心とする絹織物の製造が盛んになり、さらに昭和初期には人絹織物の導入によって織物立国を形成した。戦後は、設備の近代化、技術革新により高級合繊織物の一大産地として国内外に知られた。

    また、この地は、全国でも貴重な恐竜化石の宝庫としても知られており、その拠点、福井県恐竜博物館には年間100万人を超える来場者が訪れ賑わいを見せている。それと併せて、当地を代表する宝といえば、毎年2月の最終土日に開催される「勝山左義長まつり」を挙げなければならない。そして、同市を訪れた当日はこの祭りの日だったのである。奇祭と呼ばれる「勝山左義長まつり」は、勝山藩主、小笠原氏が入封して以来300年以上の歴史があるといわれる。この日も同市内の各地区には12基のやぐらが立ち並び、そのうえで色とりどりの長襦袢(ながじゅばん)姿に着飾った老若男女が独特のおどけ仕草で三味線、笛、太鼓、お囃子を披露し、その姿に多くの見物人が酔いしれた様子であった。

    主催者側の公表では、今年の「勝山左義長まつり」は2日間で11万人の来訪者を数えたらしい。こうした伝統ある祭りではあるが、ただ一つ惜しいことは時代とともにその勢いに陰りが見えることだ。高齢化、過疎化、空洞化が進み担い手不足などからそれも仕方ない。とはいえ祭りは文化、いにしえの形を受け継ぎ、守り、できれば新しいエネルギーを取り込みながら次の時代に伝えてほしいものだ。

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  • 新しい将来人口推計

    人口減少、少子高齢化という言葉を日常的に目にするようになって久しく、またそうした現象が地域差を伴って進行していることも相まって、将来の人口がどのように推移していくのか、すなわち将来人口推計の結果には、とりわけ近年大きな注目が集まるようになっている。将来人口推計はどのような場面で必要になるかを考えると枚挙に暇がない。年金・医療・介護保険、あるいは生活保護といった社会保障制度の設計とそれに係る費用の算出には将来推計人口が利用されるし、電気・ガス・水道といった公共インフラ整備からごみ収集といった公共サービスの計画設定にも地域別の将来推計人口が重要な役割を果たしている。また少子高齢化の進行具合の見通しがなければ、保育園の増設や小中学校の統廃合の議論は進まないし、医療・介護サービスの提供に必要な施設や従事者の需要も予測できない。コンビニ出店や大型の商業施設の設置等も地域別の将来人口がわからなければ方針を立てられないだろう。

    日本では国立社会保障・人口問題研究所が公的な将来人口推計を公表している。同推計結果は厚生労働省の公的年金財政検証、内閣府の経済財政モデルをはじめとして各種政策・計画立案に利用されている。そういった利用の観点から言っても客観性・中立性が求められており、それらを担保するように科学的な推定がなされている。それは人口投影(population projection)と呼ばれ、端的に言えば、これまで見られた変化が今後も続いていくと仮定した場合のシミュレーション結果であり、直近の人口変動を見落とさず、それを推計に織り込むことで将来の人口変動の仮定をブラッシュアップしてきている。

    国勢調査の結果が公表される度に、その人口を基準とした新しい将来人口推計が公表されてきたが、2015年国勢調査を基準とした推計結果の公表が遅れているようだ。国勢調査は西暦の下一桁が0と5の年の10月1日時点の調査として実施され、将来人口推計に必要となる男女・年齢別人口を含む人口等基本集計結果は、翌年の10月頃に公表となる。その後、推計結果が公表されるが、過去の全国の将来推計人口の公表時期を見ると、1995年国勢調査による将来推計は1997年1月、2000年国勢調査は2002年1月、2005年国勢調査は2006年12月、2010年国勢調査は2012年1月であり、人口等基本集計結果の公表から2から3か月のうちに公表されている。しかし、2017年2月中旬時点で2015年国勢調査による将来人口推計結果は公表されていない。この将来人口推計は、厚生労働省の社会保障審議会人口部会にて議論されているが、2016年12月2日の第18回の開催が最後となっており、新推計の基本的な考え方が提示されているにとどまっている。そこでは推計上の新しい視点として、未婚率のさらなる上昇、出生率の将来仮定値設定における婚前妊娠初婚・出生の分離による精緻化、高齢死亡率改善の緩和等があげられており、推計方法の改良に伴う推計結果の安定性の確認に時間がかかっているものと推察される。

    こうした直近の変化の検討があるものの、人口変動の大きな流れに変化はなく、さらなる少子高齢化、人口減少が進行するという将来推計結果が得られるだろう。人口動態に大きな変化はないが、それを取り巻く状況はこの5年間で大きく変化してきた。政府は一億層活躍社会実現のために出生率の大きな上昇を掲げているし、日本創成会議の「ストップ少子化・地方元気戦略」に端を発する地方創生の潮流の中で、各地方自治体がやはり出生率が大きく上昇する将来仮定に基づいた将来推計人口を地方人口ビジョンにて提示している。ところで社会科学における予測の目的とは、将来実現する状況を言い当てることよりも、現在の状況と趨勢が続いた場合に帰結する状況を示し、今取るべき行動についての指針を提供することにある。そうした視点からすると、地方人口ビジョンの将来人口推計は人口現象に対して政策等を通じて働きかけ、良好な結果が得られたケースであり、客観性のある人口投影ではなく目標人口としての性質を強く持つものと解釈できる。しかし、その実現性や蓋然性については疑問があり、政策や計画立案の根拠とするのに適しているとは言えない。

    国立社会保障・人口問題研究所は全国の将来推計人口を公表した後、都道府県別・市町村別将来推計人口を公表する。恐らくは、かなり厳しい将来の見通しが提示されるであろうし、悲観的な意見も多く見られることになるだろう。しかし、それは一つの現実であり、真摯に向き合うべきである。目標人口を設定すること自体が悪いわけではないが、希望・願望に傾いて過度に大きな将来人口を想定することで各種事業規模が過大となって将来世代に大きな負担を残すことにもつながりかねない。各地方自治体が作成した地方版総合戦略は5ヵ年の計画であり、新しい将来推計人口はその期間内で得られることになる。人口投影としての将来人口の見通しの変化もフォローしながら、フレキシブルな対応をしたいところである。

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  • 「改めて、海外展開を考える」

    2年前、初めて輸出をしようと考える企業を念頭に、海外展開のすすめ方について原稿を書いたことがある。今年の初め、ある方から、実際に輸出を始めようとしている企業の方が、その原稿を「参考になる」と手元に置いておられる、という話を聞いた。書いた原稿がお役に立っているようで大変うれしく、ありがたいことである。このメールマガジンの読者にも海外展開に取り組んでいない方が
    おられることだろう。そこで、改めて、海外展開について、ここで書いてみることにした。

    海外展開には、輸出、海外での生産拠点や販売拠点の設立、生産・販売・技術開発などの海外企業との提携、といった形態がある。最近ではインバウンド対応と呼ばれる、訪日客への売り込みを海外展開とみることもできる。福井県内にも、既に何年も取り組んでいる企業もあれば、今検討している企業、そして、「海外は関係ない」と考えている企業もあるだろう。

    しかし、よく言われることだが、日本よりも海外、特にアジアの方が、今後の成長が見込まれている。例えば、経済成長率について、国際通貨基金(IMF)の予測(2016年10月発表)では、日本は2017年は0.6%で、その後2021年まで1%未満にとどまるとされている。これに対し、世界全体は2017年3.4%、新興国・地域全体は4.6%、そしてアジアの新興国・地域では6.3%となっており、2021年までわずかずつ増加し続けると予測されている。日本の企業が今後も事業を続け、発展させるためには、日本にとどまらず、海外、特にアジアの新興国・地域の成長を活かすことが一つのカギだといえる。

    海外展開の効果については、『中小企業白書』2016年版に、海外展開中の企業を対象にしたアンケート調査の結果が載っている。回答が最も多かった効果は「売上の拡大」であった。海外展開のタイプ別には、輸出企業の72.2%、海外生産拠点を持つ企業の50.2%、海外販売・サービス拠点を持つ企業の56.5%、インバウンド対応をする企業の67.6%が「売上の拡大」効果を感じているという。次いで、「海外の新市場・顧客の開拓」を、輸出企業の39.9%、海外生産拠点を持つ企業の34.9%、海外販売・サービス拠点を持つ企業の55.5%、インバウンド対応をする企業の26.5%が挙げた。3番目には、輸出やインバウンド対応を行う企
    業では「自社のブランド・認知度向上」、海外生産拠点を持つ企業では「コスト削減」、海外販売・サービス拠点を持つ企業では「海外市場の情報の蓄積」と、形態によって見方が分かれた。海外展開をしている企業は、実際にこうした効果を感じているのである。

    他方、海外展開を行っていない企業の理由も、前出のアンケートで調査された。回答が多かったのは「国際業務の知識・情報・ノウハウがない」「国際業務に対応できる人材を確保できない」「現地パートナー、商社等が確保できない」の順であった。

    こうした課題への対応は、まずは公的支援機関や、海外展開業務を助ける企業・個人を活用するのがよい。福井県内にも支援機関はある(当研究所もその1つである)。相談をしたり、セミナー等に参加したりすることで、「国際業務の知識・情報・ノウハウ」の収集や、「国際業務に対応できる人材」の育成に活用できる。現地パートナーや商社等は、実際のマッチングの場である商談会や見本市に参加して探すことができる。商談会や見本市の情報も、支援機関が提供している。海外展開について検討する際には、こうした機関を利用してみることから始めるとよい。

    もちろん、検討の結果「海外展開はしない」という判断をすることもあるだろう。ただ、輸出やインバウンド対応は、海外に部門を作る必要もなく、比較的取り組みやすい。また、海外への拠点設立については、全国をみると、製造業では大企業から中小企業や町工場まで、サービス業では流通・小売業からレストラン、カフェ、ベーカリー、学習塾といった幅広い分野に動きが広がっている。農産物の海外生産に取り組むところもある。これまで考えていない方にも、また現時点では海外展開はしないと判断している方にも、海外展開の可能性について、検討しない手はない、と申し上げてみる次第である。

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  • 社会的割引率

    大規模プロジェクトの費用便益分析(便益Benefit/費用Cost=B/C)は、当該事業の可否を判断するにあたって、大変重要なポイントである。鉄道建設においては、総費用Cと開業後50年間合計の総便益Bを算出するケースが多い。そして、基本的にB/C≧1を満たさない限り、その事業は前に進めない。

    ここで問題となるのが、「将来生じる便益や費用を現在の価値でどう評価するか」である。例えば、今年得られる10万円と10年後に得られる10万円を足して、総便益20万円とはならないのである。一般的に、年4%の割合で将来価値を現在価値に割り引く手法がよく用いられている。この年4%を社会的割引率という。その結果、「10年後の10万円」は、「現在の約6.8万円」に換算され、総便益は約16.8万円となる。「明日の百より今日の五十」という諺は、極端ではあるが社会的割引率を単純化したものと言える。

    B/Cの上下に、この社会的割引率がかなり効いてくる。ただし、Cのうち大きな割合を占める建設費は、比較的近い将来に支出されるものであり、Bと比べて割り引きの影響は小さい。それに対してBは常に建設費の後に生じ、50年後の10万円は現在の約1.4万円になってしまう。つまりは、1つの事業についての2つの具体案を比較する場合、完成時期が極めて決定的な要素となる。まさに「タイムイズマネー」の世界である。さらに人口減少社会においては、完成が後ろにずれればずれるほど需要減の影響を大きく受け、社会的割引率を適用する前のB自体が小さくなる可能性がある。

    北陸新幹線の敦賀以西ルートを比較する場合においても、上述のような社会的割引率を用いた費用対効果分析が行われている。算出結果のみを見るのではなく、分析の前提となる建設期間の設定を押さえておくことが必要である。事業評価のシミュレーション上の問題だけではなく、本質的な意味においても、早く着工し短期間の工期で開業することが、便益を最大化する上で極めて重要なことは言うまでもない。

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  • 「民政への道半ばで精神的支柱を失ったタイ」

    この数ヶ月でタイの政治、あるいは経済にも大きな影響を与えかねない出来事があったので触れてみたい。8月7日に新憲法草案に関して国民投票が行われ、約60%の賛成をもって可決された。2014年5月のタイ陸軍によるクーデター以来、暫定首相プラユット氏が率いる政権による軍政がおこなわれており、新憲法はこれを民政に戻すためのロードマップの一部でもある。様々な勢力、大きく分けると既得権益層(反タクシン派)、現状打破層(タクシン派)、軍、の3つが自己に有利な憲法を求め、当初妥協は困難とみられていた。しかし実際に国民投票がおこなわれると、軍に有利な条項の多い憲法草案であったにも関わらず民意は新憲法として受け入れることを選択した。これは当初意外感を持って受けとめられたが、2010年のタクシン派による大騒乱を経験した後、軍政によって一時的にも政治の安定が回復したことが評価されたとも言える。またプラユット氏が軍出身でありながら、意外にも実務能力が高いことも要因としてあげられている。いずれにしてもタイ人の現実主義的なしたたかさを改めて見た思いがする。その後の道筋としては、新憲法が国王の署名を得て公布され、総選挙の実施、新政権の発足ということになり、最短で2018年初頭に新内閣が組閣されるが、その際現時点で評価の高いプラユット氏の続投の可能性があるということも驚くべき点だ。2006年のタクシン元首相追放・亡命以来、延々と続いた政争をこのような形で収める知恵がタイにあることを筆者などは素直に感心する。

    しかし国民投票のわずか2ヶ月後、10月13日にプミポン国王(ラーマ9世)が亡くなったというニュースが飛び込んできた。亡くなった国王は日本でもよく知られているように、タイ国民から絶大な支持と敬愛を集めており、日本の皇室とは特別親しい関係にあった。過去には絶妙とも言える政治的な介入をおこなったこともあり、タイ人にとっては単なる国家の象徴ではなく、政治安定のための最終的な権力バランサーでもあったと言えるだろう。後継国王にはワチラロンコン王子がなると見られているが、この原稿執筆時(11月2週)には即位の日程などは発表されていない。また亡くなったプミポン国王の懐刀とも言える存在の、1980年代に首相を務めたプレム元首相が暫定摂政についたとのことであるが、不思議なことにプレム氏の動静と言動が伝わってこない。さらには、先に述べた新憲法公布には新国王の署名が必要であるとの状況も絡んでいる。現在のタイにとっては、後継国王問題を早急に着地させることが求められているが、国民感情も考慮しながらまだ揺れているとも考えられる。そして、もしタイ国民の王室観が仮に近い将来変化した場合、どのような価値観が生まれるのか想像することは大変難しい。いずれにしてもプミポン国王の死去は、タイにおいて多方面への影響が生じる可能性があることだけは予想しておいた方が良いだろう。

    タイはASEANの枠組みでも大国となり、大きなプレゼンスを示すようになった。外国投資誘致の成功に続いて大きな消費市場が形成されようとしている。現在7000社もの日系企業がタイで操業しているとも言われ、タイの社会、政治・経済の安定は日本にとっても極めて重要であることは論を待たない。日本政府と日本企業は、タイの変質も視野に入れた対応をする必要が発生することを念頭に置いておくべきであると思う。

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