福井県立大学地域経済研究所

2015年

  • 「北前船主の館 右近家」を訪ねて

    先日、越前海岸の南端、敦賀湾の入り口に位置する旧河野村(福井県南条郡南越前町河野)を訪ねた。当地には、江戸時代から明治時代にかけ北前五大船主として名を馳せた「北前船主の館 右近家」がある。そもそも北前船とは何か。蝦夷地と大阪を西回り航路(日本海航路)で結び、船主自らが立ち寄る港々で商品を買い付けながら、それら商品を別の港で販売し利益を上げる買積み廻船のことを言うらしい。

    ところで、江戸時代、武士の給料は米を単位として与えられていたが、北海道の松前藩では米が取れないため、家臣には漁場が与えられた。家臣は、自分の漁場で取れた漁獲物を本州の商人に売り、生計を立てていたが、商いに熟れない家臣たちは商人に漁場での商売を任せ、商人から運上金を取り生計を立てるようになった。そこでできた制度に場所請負制というものがある。これは、松前藩の家臣が自分の漁場での商いを商人に任せた特権制度であり、場所請負人とは特権を与えられ運上金を収めた商人のことを指す。江戸前期から江戸中期まで場所請負人の特権を握った近江商人は蝦夷地の産物を荷所船に乗せて敦賀や小浜の港に運んだ。この荷所船の船頭として越前や加賀の船乗りたちが雇われていたのである。しかし、江戸時代中ごろになると、蝦夷地に進出してきた江戸商人によって近江商人が衰退していく。この近江商人の衰退により、荷所船の船頭をしていた越前や加賀の船乗りたちは、これまでの経験を活かして、自分で船を持ち買積みという商いを始めるようになったのである。これが北前船の始まりとも言われる。各地を寄港しながら自分で安く商品を仕入れ、高く売れる港で売却する北前船の買積みという商い方法は、運賃積と異なり大きな利益を生み、主に西回り航路で蝦夷と大阪を結ぶ北前船の時代は明治の中頃まで続いたという。

    では、北前船は何を運んでいたのか。大阪から蝦夷地に向かう荷を下り荷と呼び、大阪や下関の港では、竹、塩、油、砂糖、木綿、紙、たばこなどの日用雑貨を、小浜や敦賀の港では、縄、むしろ、蝋燭など、新潟や坂田の港では米などを積み込んだという。逆に、蝦夷地から大阪に向かう荷を上り荷と言い、カズノコ、コンブなどの海産物やニシンを積み込んだ。北前船の一航海の利益は、下り荷と上り荷を合せた収益から、船乗りの給料、食費、船の修理代を差し引いたものであった。明治5年の「八幡丸」の収支報告を見ると、収入は下り荷が223両、上り荷が1,169両、その他146両、合計1,538両。支出は724両で、差し引き814両の利益が出ている。こうしてみると、上り荷の利益が極めて大きいことがわかる。当時、蝦夷地で取れたニシンは田や畑の肥料として大量に使用されていた。千石船一航海1000両と呼ばれた北前船の収益の多くは、上り船のニシンだったのである。

    さて、話を右近家に戻そう。旧河野村にある右近家は、いったい何時頃誕生したのであろう。一説によれば、初代、右近権左衛門が一軒の家と一槽の船を持ち、船主として名乗りを上げたのが延宝8年(1680年)の頃と言われる。その後、右近家の廻船経営が明らかとなるのは、江戸時代の中頃、天明年間(1781から1789年)、7代目権左衛門の頃からである。7代目は蝦夷地と敦賀・小浜等を往復し物資を運ぶ近江商人の荷所船の船頭をする傍ら、自分で物資を売買する買積み商いを始め、次第に北前船主としての道を歩み出したのであった。こうして北前船の基礎を築いた8代目、繁栄を極めた9代目と続いていく。10代目は、明治時代中頃から衰退していく北前船主の中でいち早く汽船を導入し輸送の近代化をはかる一方、海上保険会社の創立など事業の転換をはかった。11代目は、日本海上保険会社と日本火災保険株式会社の合併や右近商事株式会社など経営の基盤を確立した。そして、12代目、安太郎氏は右近家の歴史と伝統を受け継ぎ日本火災海上保険株式会社の社長を長く務める一方、旧河野村の北前船歴史村事業に賛同し、本宅を村の管理にゆだね「北前船主の館 右近家」として一般に公開し、現在に至っている。

    いずれにせよ、北前船の船主が当地に存在していたという事実は、15から16世紀、あのコロンブスやマゼランが活躍した大航海時代を彷彿させるものであり、さらに、小浜、敦賀、三国など大陸文化伝来の玄関口として栄えた地が存在していた事実と合わせて考えれば、福井県そのものが古より広域ネットワークの拠点として、経済、文化、人的交流等の面で極めて重要なポジションを担っていた事実を認めなければならない。

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  • ふくい地域経済研究第20号

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  • 韓国企業に対する見方

    日本と韓国の政治関係は悪化した状態が続いている。内閣府の「外交に関する世論調査」によると、韓国に対して「親しみを感じる」とする回答割合は平成23年の62.2%から24年は39.2%に低下、25年は40.7%と横ばいだったが26年は31.5%とさらに下がった。これに対し「親しみを感じない」は23年の35.3%から24年に59.0%に増え、25年は58.0%で26年には66.4%と上昇した。親近感の低下がうかがえる。

    韓国企業についても、4から5年前は、大手企業が世界で売上を伸ばす状況を伝えるとともに、「韓国企業に学べ」と、成功の理由を分析する報道や書籍が多くみられた。しかし最近の報道や書籍には「サムスン電子はスマートフォンの不振で売上や利益が落ち込んでいる」「ウォン高が進み韓国企業の収益は悪化している」といった状況や、韓国経済や企業の弱みに注目した内容が増え、韓国企業への評価も下がっているように見受けられる。

    ただ、日韓両国間の貿易規模は低調になっているわけではない。輸出と輸入の合計である貿易総額をみると、平成23年は8兆4,392億円、24年は8兆1,450億円と前年比3.5%減少したが、25年は9兆49億円と10.6%増加。26年は8兆9,929億円で0.1%の減少、これは前年とほぼ同水準といってもいいだろう。
    また、韓国は、日本の貿易先としては、中国、米国に次ぐ3位である。過日発表された平成26年の日本の貿易総額の速報値では、日本の貿易総額は158兆9,917億円となった。相手先をみると、1位は32兆5,550億円の中国、2位は21兆1,899億円の米国、そして3位は8兆9,929億円の韓国であった。この3位という順位は、2001年以降続いている。

    韓国と日本との貿易額が多いのは、両国企業が密接な関係を構築しているためだ。韓国企業は、部品、素材、機械は、日本企業から主要なものを輸入し、それを用いた製品を世界市場に販売している。韓国内のメーカーも育ってきているが、高度な技術を伴う品目は国産化が進まず輸入をせざるをえない。韓国の世界シェアが高い製品を例にとると、メモリー半導体はサムスン電子とSKハイニックスが生産し、両者を合わせた世界市場でのシェアはDRAMでは55%、NAND型フラッシュメモリーでは47%に達する。しかし、半導体の製造装置や、製造に使用する素材の国産化率は低く、多くを日本から輸入している。リチウムイオン電池でも、サムスンSDIとLG化学の世界シェア合計は40%を占めるが、素材の国産化率は低く、日本からの輸入が不可欠である(シェアは日本経済新聞「2013年の世界の主要商品・サービスシェア調査」より)。このように部品・素材・機械の日本から韓国への輸出が構造化されており、貿易収支は日本の黒字・韓国の赤字基調が続いている。

    韓国に対する日本の見方は、この4から5年で大きく変わったようにみえる。しかし、高度技術が活用された部品、素材、機械に対する韓国企業のニーズや、それに対する日本企業への期待はそれほど変化しているわけではない。この点を考え、改めて韓国に目を向けてみるのも有意義なのではないだろうか。

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  • 北陸新幹線金沢開業!福井にとっての43のポイント

    3月14日に北陸新幹線金沢開業を控えるなか、この大動脈を福井の活性化へと結びつけるにあたってのポイントを整理しておく。なお、本コラムの内容は、筆者による「地域経済研究フォーラム『新幹線とまちづくりー金沢開業1ヶ月前に、今一度、ポイントを押さえておくー』、2月12日」での講演資料を加筆・修正したものであることをお断りしておきたい。

    01 東京~金沢が2時28分~50分、24便・約22,400席/日。早く太い動脈で直結
    02 首都圏における「北陸」への注目度はかつてないレベル。福井も健闘
    03 観光魅力、ブランド力、交通利便性を手に入れた金沢が北陸ブームの中心に
    04 福井~金沢は43~50分。福井にとって北陸新幹線経由東京行きの便益は僅か
    05 福井~東京の鉄路が、ほぼ同等の2ルートから選択可能に
    06 北陸新幹線を活用して、これまでとは違った人の流れが各地で出現
    07 福井~長野が最速2時間強。互いに新しい交流先が誕生
    08 福井~大宮が最速3時間強。北関東、東北方面との最適ルートに
    09 金沢~富山はシャトル新幹線(つるぎ)を含め3種類の新幹線で、18~23分で強固に結節
    10 西からの在来線特急列車は金沢止まりとなり、金沢駅のターミナル化が進展
    11 金沢に降り立った客は、観光地や温泉を求めて東西南北へと周遊
    12 金沢から能登、富山へと、東に向かう客の福井への取り込みは困難
    13 世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は、首都圏からみて魅力的なコンテンツ
    14 金沢から西を向いた客は、加賀地方を経て福井まで足を運ぶ可能性
    15 首都圏からは「金沢の先に福井があり、福井の手前に金沢がある」という感覚に
    16 新潟県西部、長野県は、虎視眈々と関西をターゲットに
    17 福井の観光地の最大顧客は引き続き関西、次いで中部であることを忘れてはいけない
    18 金沢開業1年後に北海道新幹線新函館北斗駅開業。北陸ブームを1年で終わらせてはいけない
    19 首都圏という新規客にとって、福井の全てが低認知・未体験。逆に高興味のチャンス
    20 東尋坊、永平寺は圧倒的知名度。福井初上陸の地としての地位は揺るがず
    21 北陸新幹線と東海道新幹線を活用した大周遊ルートにも注目
    22 福井は、京都と金沢の間のミッシングリンクに位置するということも強みに
    23 北陸新幹線によって外国人観光客の流れが変わる可能性。福井もこれを見据える必要
    24 福井における観光消費額を増やすためにも、あわら温泉にもっと仕掛けが必要
    25 伝統産業集積地という観光面でこれまで低利用の磁力が、首都圏民を惹きつける可能性
    26 地域の宝を丁寧に探し協働のまちづくりを進めること等で、住んでよし訪れてよしの地に
    27 おもてなしを形にすること、言葉にすること、心を込めることの重要性
    28 金沢に嫉妬、羨望したり無関心を決め込むのではなく、あざとくその恩恵を取りにいくべき
    29 金沢や加賀とタッグを組めるところ、差別化するところ、おこぼれを狙うところの見極めも大事
    30 金沢でのコンベンションの宿泊需要のオーバーフローも狙い目
    31 福井国体(2018年度)から県内延伸までは福井を全国に売り出すまたとないチャンス
    32 小松~羽田便は「便数維持・機材小型化・低価格化」で対抗。安さが新たな魅力に
    33 新旧高速交通体系の利用促進策と地域活性化をからめた政策誘導という視点も重要
    34 福井延伸を見据えつつ、二次交通の充実等、総合的な交通体系を各地で見直すべき
    35 ハード整備の重要性は変わらないが、そこに住民の魂を込めることにもっと注力すべき
    36 地域を支え地域に愛される並行在来線という共通認識が、県民の中で広がっていくことが不可欠
    37 開業前倒しにより、受け入れ態勢のスピードアップがますます必要
    38 敦賀開業にフリーゲージトレインが間に合わない場合に向けた準備も必要
    39 福井駅先行開業については、その投資効果を見極めた上で最適解を
    40 特急停車駅のなくなる鯖江市では、まちのへそと軸を描きなおす必要
    41 越前市では、武生駅と新幹線新駅となる(仮)南越駅のまちづくり上の位置づけが重要
    42 リニア中央新幹線品川~名古屋間開通(2027年)を見据え、名古屋との結びつきを再評価する必要
    43 東海道に直結してこその北陸新幹線であるが、敦賀以西は長期的に進めざるを得ない

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  • 韓国企業に対する見方

    日本と韓国の政治関係は悪化した状態が続いている。内閣府の「外交に関する世論調査」によると、韓国に対して「親しみを感じる」とする回答割合は平成23年の62.2%から24年は39.2%に低下、25年は40.7%と横ばいだったが26年は31.5%とさらに下がった。これに対し「親しみを感じない」は23年の35.3%から24年に59.0%に増え、25年は58.0%で26年には66.4%と上昇した。親近感の低下がうかがえる。

    韓国企業についても、4から5年前は、大手企業が世界で売上を伸ばす状況を伝えるとともに、「韓国企業に学べ」と、成功の理由を分析する報道や書籍が多くみられた。しかし最近の報道や書籍には「サムスン電子はスマートフォンの不振で売上や利益が落ち込んでいる」「ウォン高が進み韓国企業の収益は悪化している」といった状況や、韓国経済や企業の弱みに注目した内容が増え、韓国企業への評価も下がっているように見受けられる。

    ただ、日韓両国間の貿易規模は低調になっているわけではない。輸出と輸入の合計である貿易総額をみると、平成23年は8兆4,392億円、24年は8兆1,450億円と前年比3.5%減少したが、25年は9兆49億円と10.6%増加。26年は8兆9,929億円で0.1%の減少、これは前年とほぼ同水準といってもいいだろう。
    また、韓国は、日本の貿易先としては、中国、米国に次ぐ3位である。過日発表された平成26年の日本の貿易総額の速報値では、日本の貿易総額は158兆9,917億円となった。相手先をみると、1位は32兆5,550億円の中国、2位は21兆1,899億円の米国、そして3位は8兆9,929億円の韓国であった。この3位という順位は、2001年以降続いている。

    韓国と日本との貿易額が多いのは、両国企業が密接な関係を構築しているためだ。韓国企業は、部品、素材、機械は、日本企業から主要なものを輸入し、それを用いた製品を世界市場に販売している。韓国内のメーカーも育ってきているが、高度な技術を伴う品目は国産化が進まず輸入をせざるをえない。韓国の世界シェアが高い製品を例にとると、メモリー半導体はサムスン電子とSKハイニックスが生産し、両者を合わせた世界市場でのシェアはDRAMでは55%、NAND型フラッシュメモリーでは47%に達する。しかし、半導体の製造装置や、製造に使用する素材の国産化率は低く、多くを日本から輸入している。リチウムイオン電池でも、サムスンSDIとLG化学の世界シェア合計は40%を占めるが、素材の国産化率は低く、日本からの輸入が不可欠である(シェアは日本経済新聞「2013年の世界の主要商品・サービスシェア調査」より)。このように部品・素材・機械の日本から韓国への輸出が構造化されており、貿易収支は日本の黒字・韓国の赤字基調が続いている。

    韓国に対する日本の見方は、この4から5年で大きく変わったようにみえる。しかし、高度技術が活用された部品、素材、機械に対する韓国企業のニーズや、それに対する日本企業への期待はそれほど変化しているわけではない。この点を考え、改めて韓国に目を向けてみるのも有意義なのではないだろうか。

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