お知らせ
第1回地域経済研究フォーラム「産業立地政策の新展開と自治体産業政策」
■中島精也先生による時事経済情報No.116
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■吉田陽介先生による中国現地ルポNo.22 「休暇経済」の活性化には各種措置の「協同」が必要
「中国の学校って、何で休みが少ないんだ…」
中国の学校に通う息子は週明けになると決まってこうぼやく。中国の学校は日本と違い、9月から翌年1月までの秋学期、2月末から6月までの春学期の2学期制だ。一旦学期が始まれば、4か月間みっちり授業がある。もちろん、国が定めた祝祭日は休みだが。日本と同じ3学期制をとっている現地の日本人学校に通っていた息子からすると、1学期は非常に長く感じるのも無理もない話だ。
息子がそのように感じるのは理解できる。習った知識を整理する期間があってもいいかとは思う。ならば、祝祭日を整理にあてればいいではないかと誰もが思うだろう。ただ、筆者の周りの中国人はよく「中国は休みが少ない」という。それはどういうことなのか。
中国の祝祭日は春節(7日間)、清明節(3日間)、労働節(5日間)、中秋節(3日間)、国慶節(7日間)がある。数字だけ見れば、少ないとはいえないが、中国には「調休(ティアオシュー)」という制度がある。例えば、4月の清明節は、法律では1日となっている。連休にするため、その週の週末を動かして3連休にするというものだ。例えば、月曜から水曜日までを連休にすると、その週の土日は出勤日になる。場合によっては、7連続出勤ということになる。こういうこともあり、「中国は休みが少ない」と感じている中国人は少なくない。ただ、中国政府は何も考えていないわけではなく、今年から「労働節」と「春節」の連休が1日ずつ増え、「調休」はなるべく7連続、8連続出勤にならないように配慮している。
景気浮揚に必要な
「休日経済」
中国人の「休み少ない感」を補うものが、有給休暇の活用だ。これは、全人代の文書にもよく出てきている。3月に中国共産党中央弁公庁と国務院弁公庁が発表した「消費喚起特別行動プラン」(以下、「プラン」)にも、有給休暇の活用について述べられている。「プラン」には、「年次有給休暇制度を厳格に実行し、年次有給休暇の実施状況を、労働組合が従業員の権利・利益を守る重要な内容とする」と述べている。具体的には、「年次有給休暇と短期・長期休暇の連休の奨励」、「ピークを避けるフレキシブルな休暇の実現」を挙げている。
なぜ、こうした休みを増やすことが「プラン」で言われたかというと、いうまでもなく経済効果が見られるからである。
休日前後になると、「休日経済」という言葉が中国メディアでよく見られる。それは「人々が休日を利用して集中的行うショッピングや旅行によって、供給の増加、市場の繁栄、経済発展をもたらすこと」と定義される。休日での消費は、生きていくために必要なものというよりは、自分の生活を豊かにするための「享受型」消費がメインだ。
「休日経済」は飲食、観光、ショッピングだけでなく、文化イベントやスポーツイベントなども含まれる。
コロナ規制が緩和されてから、中国は「休日経済」活性化の条件が整い、経済減速の影響を受けているものの、一定程度回復した。
昨年の比較長い連休の中国国内旅行消費を見ると、「労働節」の連休は、中国国内旅行者は前年同期比7.6%増の延べ2億9500万人で、中国国内観光消費は前年同期比12.7%増の1688億9000万元だった。「国慶節」の連休の中国国内旅行者は前年同期比5.9%増の延べ7億6500万人で、国内観光消費は前年同期比6.3%増の7008億1700万元だった。「
直近の連休を見ると、4月初めの清明節(今年は4月4日〜6日)の3連休は、中国国内旅行者は前年同期比6.3%増の延べ1億2600万人に達した。中国国内観光消費は前年同期比6.7%増の575億4900万元だった。
このように、昨年の「労働節」のように二桁とは行かないまでも、5%以上の伸びとなっており、「休日経済」は堅調な伸びを示している。
学校の「春休み・秋休み」は
実現できるか?
また、「プラン」は、学校の休みについても言及しており、「条件の整った地方が実情と結びつけて小・中学校の春・秋季休暇の設置を模索することを奨励する」と述べている。この文書が出た後、北京情報科学技術大学が春休みを設けることを表明した。学校の発表によると、春休みは学校の中で学べないことを体験する期間とするという。
ただ、小中学校は学力の基礎をつける段階であり、「高考(統一大学入試)」が最終目標であるため、法定休日以外の休業期間を増やすことは難しいが、大学の場合は、問題意識を持って、興味のあることを深めていく必要があるので、「学校の外で勉強する」のは大いに奨励すべきものだ。
春休み・秋休みが広く実施されるには次の二つの問題がある。
第一に、春休み・秋休みを念頭に置いたカリキュラムに調整する必要がある。大学の場合、授業内容は現場の教員に委ねられることが多いが、小中学校は「高考」を念頭に置かなければならないため、やや長めの休みを設定する場合は、全体的に授業数を増やすなどして対応するか、教える内容を減らす必要がある。だが、激しい競争が繰り広げられている中国では、後者を選択することはないだろう。休みの前後は補習の嵐になることが予想される。
第二に、子供が休めても、親が休めない場合は、消費活性化につながりにくい。日本でもそういう面があるが、学校の世界と一般社会は「乖離」している。例えば、中国の場合、幼稚園や小学校は親が迎えに行くことが多い。だが、下校時刻は午後3時頃。その時間帯に迎えに行ける親は限られている。夏休みの場合も同じで、親が面倒を見られないので、塾などの合宿に参加させるパターンもある。
コロナ禍のとき、学校はオンライン授業に切り替わったが、「子供の面倒を見るために、休みを取らなければいけないので大変だ」というコメントがネット上でよく見られ、一般社会と学校の「常識」との乖離が垣間見られた。
政府が予期する消費拡大効果を狙うなら、親の休暇についても考える必要がある。それには、有給休暇の活用が重要になってくる。前述のように、この問題は新しい問題はないが、近年は景気回復の必要性から、強調されている。
この措置を実施する場合、労働者の権利保護問題、企業の生産性向上問題に取り組む必要がある。
また、中国政府がよく言っている「期待の安定化」も必要だ。休みがあっても、どこも行かないという学生も少なくない。休み前になると、「連休中はどこに行きますか」という話題は「鉄板ネタ」になる。4月の「清明節」の例でいうと、どこも行かなかった、近場に行ったという答えが多かった。理由は「観光地は人が多い」「三連休は短いので、どこも行かずにゆっくりしたい」というものだった。それには、中国経済の先行き不透明感から、「節約志向」になっているという面もあるだろう。
そのためか、今年の清明節では、近場の公園に花見に行った時の消費を示す「花見経済」という言葉も見られた。もちろん、今の中国の消費者のニーズは多様化しているので、近場の観光も選択肢に入るのは好ましいことだ。ただ、選択肢を増やす一方で、期待の安定化を図らなければ、期待していた効果は得られないだろう。
景気浮揚には政策の「協同」
が必要
「休日経済」は消費活性化策の一部である。「プラン」を改めて見てみよう。この文書の項目を見ると、「全面的」「協同(コラボ)」という考え方が貫かれていることがうかがえる。
「プラン」の目次を列挙してみる。
1、都市・農村住民の増収促進行動
2、消費能力保障支援行動
3、サービス消費の質的向上・恵民(庶民が潤う)行動
4、大口消費の更新・アップグレード行動
5、消費の質的向上行動
6、消費環境の改善・向上行動
7、制限措置の整理・最適化行動
8、支援政策を整備
ここでは、まず消費の基本となる所得を増やすための措置や、出産・養育や教育、政府が重点層とする人々への生活保障も落ち出されており、高所得者と低所得者の消費の「二極分化」が起こさないよう配慮している。
また、モノの消費だけでなく、サービス消費も重視しており。さらには、住宅や自動車、電気製品などの大口消費、インターネット消費にも言及するなど、「全面的」な消費アップを狙っている。
さらに、有給休暇の実施と小中学校の春休み・秋休みなど関連する措置を関連づけている。「プラン」には、「休日経済」の言葉が見られないが、氷雪経済と結びつけることができる。
昨年の中央経済工作会議、今年の全人代の文書を見ると、複数の政策を「協同」で実施するという考え方が強くなっている。例えば、今年の全人代で発表された「政府活動報告」は、「ポリシーミックスをしっかりと行う。財政・金融・雇用・産業・地域・貿易・環境・監督など政策の統合をはかると同時に、改革開放措置との整合性を高め、シナジー効果を高める」と述べ、ある政策を対処療法的に打ち出すのではなく、必要な政策を一体的に講じる姿勢を示している。
「プラン」で指摘された措置も、消費能力や消費環境づくり、支援措置などの措置を一体的に捉えている。 一部の報道が指摘するように、「消費喚起特別行動プラン」の内容は明るいものだ。ただ、この政策の効果的かどうかは、まだ一定期間の観察が必要だ。
産業立地政策はどこへ行く?
先日、東北経済産業局の半導体アドバイザリーボードの研究会で、「東北における産業立地政策の変遷と今後の政策課題について」と題した報告を行った。私と東北局との関係は、2007年に遡る。日本の産業立地政策の歴史でいえば、1997年からの「地域産業集積活性化法」に代わり「企業立地促進法」が施行された年に当たる。東北産業活性化センターの報告書で、2008年に10項目の方向性をまとめたが、第1番目に「新たな自動車産業集積地域を形成する」とした。
2000年代からのデジタル家電ブームと好調な自動車輸出に支えられて、毎年のように企業の立地件数が伸びていき、全国の工場立地件数で「第3の山」が形成された時期だった。こうした時期に「企業立地促進法」が策定されたが、2008年のリーマンショックにより、工場の閉鎖が問題になり、2009年の東北局での研究会では、企業の地域定着策についての議論が中心になった。私自身この頃、立地調整論を打ち出し、生産機能に特化した工場は閉鎖されやすいとして、マザー工場化といった工場の機能変化に着目していた。
2011年に東日本大震災が発生し、被災状況や回復過程に業種や地域による差が顕著だった点を論文で指摘するとともに、東北復興のお手伝いは今も続いている。全国的にも企業立地の低迷が続き、2017年には「企業立地促進法」に代わって、「地域未来投資促進法」が施行されることになる。そこでは、地域の中核企業による地域経済牽引事業への支援が中心に据えられたが、2019年度に東北局の調査研究に関わり、仙台北部から岩手県北上市にかけての地域に、コア技術を活かした「工場の進化」事例がみられる点に注目した。
ところで、全国的には最近、半導体産業を中心に大型投資が相次ぎ、話題になっている。東北局の研究会で、昨年12月にキオクシア北上工場の第2製造棟を見学したが、総投資額1兆円といわれる巨大設備に大変驚いた。経済産業省の「経済産業政策新機軸部会」では、国内投資案件を日本地図に示しているが、熊本県でのJASM(台湾のTSMCとソニー、デンソーなど)、三重県と岩手県のキオクシア、広島県のマイクロン、北海道のラピダスなど、半導体工場の大型投資が目を引く。また、経済産業省のウェブサイトには、「経済安保推進法に基づく半導体・先端電子部品サプライチェーンの強靱化」の名の下で、採択案件リストが公表されている。このように、国際的にも国内的にも政治に左右された立地が目立つ一方で、工場立地件数は横ばいをたどっている。「第4の山」がみえてこない中で、2017年からそろそろ10年が経とうとしている今、日本の産業立地政策の今後が気になり出している。
■中島精也先生による時事経済情報No.115
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「人材不足」解消の新たな選択肢として
2025年2月14日に、地域経済研究所企業交流室で「ふくい企業価値共創ラボ」の修了式が執り行われ、私も、プログラム企画・運営者のひとりとして出席しました。
「ふくい企業価値共創ラボ」とは、都市部(大都市圏)で活躍している人材(以下、都市人材)を福井県の未来を担う企業とマッチングし、県内企業が抱える経営課題の解決、付加価値の向上を図ること、都市人材に関係人口、定住人口として定着してもらうことを目的とした、リカレント教育プログラムであり、地方創生プログラムです。福井県立大学(地域連携本部)、福井県(産業労働部)、福井銀行・福邦銀行(Fプロジェクト)、全国企業振興センター(アイコック)と産官学金のコンソーシアム(共同事業体)を組織し、福井で活躍してくれる都市人材の発掘、県内企業とのマッチング支援を行っています。なお、福井県立大学では、県内企業とのマッチングが成立した都市人材を、半年間(9~2月)、協力研究員に任命したうえで、週4日はマッチング先企業へ派遣し経営課題の整理・解決支援を行ってもらい、週1日は大学で教員による講義、指導、助言を提供し、マッチング先企業での支援に役立ててもらっています。
第2期目になる本年度は、都市人材(応募者)72名、県内企業(エントリー企業)7社に対してマッチングできたのは4社4名でした。都市人材側の倍率は18倍です。一方、県内企業側のマッチング成約率は57.1%ですから、高い成約率であることが分かります。つまり、企業側にとっては、高い確率で、厳選された都市人材と巡り合うことができるわけです。
さて、福井県労働局が毎月公表している「雇用失業情勢」をみると、最新(令和6年12月分)の福井県における有効求人倍率は1.91倍(全国1.25倍)で、81か月(6年9か月)連続して全国で最も高い水準になっています。ここから、長らく県内企業の人手不足状態が続いていることが分かります。福井県では、高齢者や女性の有業率が全国的に高い水準にあるため、必然的に外部(県外)に人材を求めなければならないことも多くなってきます。なお、福井県では、特に「モノを造る、サービスを提供する」といった現場で活躍する人材の不足が目立ちますが、「新規事業を創る、販路を拡大する、生産性を高める」といった経営や管理などの舵取りを行うマネジメント人材(企画構想なども含む)の不足感も増している傾向があります。
労働市場を単純に構造化すると、都市と地方の組み合わせです。労働市場は、地理的制約を受けやすいため、必然的に都市と地方との間に情報の分断や隙間が生まれます。経営学では、こうした隙間を「構造的空隙(ストラクチャルホール)」と呼びます。また、この隙間を埋めることの重要性が指摘されます。両者(都市と地方)の間に存在する隙間を埋め、橋渡しをする役割(バウンダリーキーパー)をコンソーシアムが担っているわけです。
他方「ふくい企業価値共創ラボ」はリカレントプログラムであるため、都市人材の自発的な学び直し(成人学習)を支援することも重視します。シリル・フールは、成人学習者を「目的志向(目標達成の手段として学習を位置づける)」、「活動志向(友人を見つけるなど、学習の活動の中から何かを得ようとする)」、「学習志向(知識の獲得自体に意味を見出す)」の3つにタイプ分けしました。一方で、パトリシア・クロは、成人学習の阻害要因を、制度的(教育機関が生み出している障害)、状況的(職場や家庭の環境が生み出している障害)、気質的(本人の心理的問題)の3つを提示しています。阻害要因を上回る志向性の有無が、都市人材の「ふくい企業価値共創ラボ」へのエントリーを決定づけると個人的には考えています。
そのため、プログラムの設計にあたっては、制度的な阻害要因の解消を意識するとともに、先天的、後天的はともかくとして、3つの志向性(目的、活動、学習)が高まるように工夫もしています。
第2期では、4名(60歳代2名、50歳代1名、30歳代1名)の都市人材・協力研究員が無事にプログラムの修了を迎え、今後もそれぞれマッチング先企業の支援を継続することが決定しています。その意味で、本プログラムの目的(リカレント教育と地方創生)は達成できたのではないかと評価しています。
人材不足解消策の新たな選択肢として「ふくい企業価値共創ラボ」も加えてみてはいかがでしょうか。
■中島精也先生による時事経済情報No.114
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■吉田陽介先生による中国現地ルポNo.21 春節消費が活発だった中国 課題は持続可能性
飲食消費が盛んな中国の春節
春節(旧正月、今年は1月29日)は中国人にとって大事な祝日だ。コロナ禍のときは、親戚まわりをする人はあまりおらず、電話での挨拶がほとんどだったが、今は制限がなくなったため、一族が集まっての食事会も当たり前のように開かれている。筆者もこの春節は中国人妻の親戚の食事会に5年ぶりに参加した。
食事会が行われたのは北京郊外のショッピングセンターの一角にある北京料理のレストラン。レストランを予約した親戚によると、春節時期は予約が殺到するので、11時半から12時、12時半から1時というように時間帯が区切られているそうだ。筆者らは予約した時間帯に店に着いたが、店の前には順番待ちの人が座っていた。20分ほど待ってから、予約した部屋の中に入れた。
こうした光景を見ると、中国が不景気なのかと疑ってしまう。ただ、これまでと違ったこともあった。ほかの部屋を少しのぞいてみると、いくつかの部屋にある皿には料理が残っていなかった。筆者が参加した食事会も、以前は、料理がたくさん残っていたが、今回はほとんど残っていなかった。
中国事情に明るい読者はご存知だと思うが、中国人は客をもてなすとき、食べきれないほどのご馳走を出す。筆者も10数年前に知り合いの中国人と3人で食事したとき、食べきれないほどの料理を注文され、なかには手をつけていないものもあった。お客にケチだと思われたくないので、たくさん出すのだと中国人の友人に聞いたことがある。ただ、内輪の場合は、なるべく完食する傾向にある。
完食する人がちらほら見られたのは、不景気で食べられるだけ注文したということもあるかもしれないが、2010年代から、中国政府が呼びかけている「完食運動」も関係していると筆者は考える。筆者の勤務校の食堂でも、「食べ物の浪費はやめましょう」というスローガンが貼ってある。レストランも、量を少なめにした料理をメニューに入れるようになった。この10年ほどで、「完食しましょう」というスローガンは珍しくはなくなった。
こうした変化は一部見られたが、飲食面の消費は全体的にみて好調だ。
中国メディアによると、春節期間中の飲食市場は好調で、全国の飲食企業の予約数は前年同期比25%増加し、特に年夜飯(旧暦の大晦日)の予約が非常に好調だった。美団のデータによると、今年の年夜飯のオンライン予約数は前年同期比300%超増加した。
また、中国の消費者は伝統的な家庭料理に満足せず、質と体験を重視している。高級レストランや中華レストランは予約が難しく、多くのレストランは需要を満たすために「2回目の年夜飯」というアイデアも出して、客を引きつけようとした。
春節消費の活況は中国経済の回復示すか
春節消費は飲食だけでなく、旅行消費や映画消費も好調だった。
2月5日付の「人民日報」によると、旅行関連サービスの販売収入は前年同期比37.5%増だった。レジャー観光、公園観光地でのサービス、遊園地でのサービスの収入は前年同期比81.9%増、59.5%増、14.1%増だった。民泊業界は現地の特色と合わせて観光客により個性的な宿泊体験を提供し、観光客に人気を集め、民泊サービスの販売収入は前年同期比12.6%増加した。
また、文化芸術サービスの販売収入は前年同期比66.3%増加した。うち、文芸創作・公演関連サービス、芸術公演会場の販売収入は前年同期比83.9%増、65.9%増だった。春節連休中、消費者はスポーツ娯楽とスポーツ健康の需要を重視し、スポーツ競技場サービスの販売収入は前年同期比135%増、スポーツ関連サービスの販売収入は224.1%増となった。
このように、春節は消費が好調で、中国経済は幸先の良いスタート切ったとみられる。それには、1月に、福建省、広東省、湖北省などで行われた「消費券(商品券)」の配布や各種ECプラットフォームの割引といった消費刺激策が背景にある。さらに、春節がユネスコの世界無形文化遺産入りしたことで、「国潮(国産ブランドのトレンド商品)消費」に弾みがついたことも大きい。
だが、こうした数字を見ると、中国経済が本格的に回復したとみられるが、春節は一種のイベントであり、経済的に余裕があってもなくもお金を使う傾向にあることも考える必要がある。
春節期間中にネット上にアップされたセルフメディアの記事は、春節消費の拡大にややさめた目で見ており、次のように述べている。
「国の統計データによると、ここ数年、春節の消費額は年々上昇しているものの、一人当たりの消費水準がコロナ禍前のレベルに回復するまでにはまだ道のりが長い。消費者は本当に細かく計算しており、お金を使うのに時間をかけて考えなければならないと言う人もいる。この背後にあるのは、実は消費者心理の問題だ。買うか買うかは、お金があるかどうかではなく、カネを使う勇気があるかないかだ。」
この指摘は、中国の消費の現状を的確にとらえていると筆者は思う。日本の「失われた30年」の時もそうだったが、経済の先行きに明るい見通しが持てないと、必要以上の消費を控え、貯蓄に回そうとする。今の中国経済の回復も力強さを欠いているため、人々は先のことを考えて財布の紐が固くなっている。数年前から「理性的消費」という言葉が出てきたのは、このためだ。インターネットショッピングで、割引が多いのは、人々の節約志向を示している。
経済回復に弾みをつけるには?
これまで、中国政府は、人々が中国経済に明るい見通しを持てるよう、一連の活性化策を打ち出してきた。
昨年の全人代(全国人民代表大会)の「政府活動報告」は、「自動車や家電など従来の消費財の下取りを奨励し、耐久消費財の下取りを推し進める」と述べ、「下取り・買取り」が消費活性化政策の重要な措置の一部となった。さらに、「国潮消費」やデジタル消費、グリーン消費、ヘルスケア消費、ウインタースポーツ関連消費など、新たな消費スポットを育てることにも言及され、昨年12月の中央経済工作会議では、「シルバー消費」も言及された。
さらに、前述のように、消費をより活性化するために。「消費券」を地方政府レベルで配布している。春節前で言うと、湖北省では、飲食消費を活性化するため、1億元を支出して消費券を配布し、北京や河北省では、「氷雪経済(ウィンタースポーツ関連消費)」の発展を後押しするため、消費券を配布したという例がある。
このように、政府レベルでは、個人消費活性化策を打ち出し、経済回復につなげようとしている。だが、前出のセルフメディアの記事が指摘するように、消費券を配っても、一回きりでは効果がさほどない。
また、消費券についていえば、全ての住民に配るのではなく、ネット上で申し込みをし、抽選に当たった者にのみ、配られる。消費券を使える店も限られており、面倒だという声もある。
ただ、中国は人が多い。すべての住民に配ると、コストがかさみ、財政を圧迫する。ネットを使わない高齢者も対象となると、配布の方法も考える必要があり、人的コストもかかってくる。そのため、現時点での「消費券」配布の方法は、現在の中国の現状から考えると、ベストな方法だと考えられる。
現在、中国政府が打ち出している消費活性化政策は、短期的なものであり、その成果を持続的発展につなげていく必要がある。
2月5日付の「人民日報」は次のように述べている。
「投資は、短期的に言えば需要であり、中長期的に言えば供給である。利益のある投資は、質の高い発展の底力を固める。
現在、わが国が直面している国際環境は複雑で厳しく、国内需要不足という挑戦は依然として比較的大きい。内需拡大はその場しのぎではなく、戦略的な取り組みだ。国内需要の拡大に力を入れることは、当面と今後しばらくの間の経済活動の重要な任務である。」
中国政府の打ち出す「下取り政策」は「需要の先食い」だと指摘されているが、その面はある。この記事が指摘しているように、中長期の投資は供給側を対象としたものにならなければならない。そのため、中国政府は「新たな質の生産力」の概念を打ち出し、新技術を使った産業の育成に力を入れようとしている。
現在の中国は「需要側」と「供給側」の両方に力を入れた政策を打ち出すだろう。李強・国務院総理は2月5日に開かれた国務院常務会議で、「圧力を原動力に変える」と発言し、積極的政策を打ち出すことをにおわせた。
3月5日に開かれる全人代でどのような政策が打ち出されるか、注目したい。
ウェルビーイング政策に関する地域経済研究フォーラムが開催されました。
2月3日(月)、地域経済研究所 企業交流室にて、「福井県のウェルビーイング政策の全体像と最新動向」をテーマに、地域経済研究フォーラムが開催されました。福井県庁 未来創造部 幸福実感ディレクター ウェルビーイング政策推進チームリーダー 飛田 章宏 氏をゲストスピーカーに、当研究所の高野翔 准教授が司会進行を務めました。世界のウェルビーイング政策の潮流を捉えた上で、日本の最先端のウェルビーイング政策の実践事例としての福井県の取り組みの紹介がなされました。
アンコンシャス・バイアスとの向き合い方
アンコンシャス・バイアスという言葉をご存じでしょうか。最近、耳にする機会が増えてきているように感じますが、まだまだ日常的な用語としては定着していないかもしれません。アンコンシャス(unconscious)は「無意識の」を、バイアス(bias)は「偏見や先入観、思い込みなどの認識の歪みや思考の偏り」を、意味するので、あわせて、「無意識の偏見や思い込み」といった意味になります。
広い意味でのアンコンシャス・バイアスには、さまざまなものが含まれます。例えば、日本人の多くは、「虹は何色?」と尋ねられると、迷いなく「7色」と答えると思います。でも、同じ質問に、アメリカ人やイギリス人なら「6色」、ドイツ人やフランス人なら「5色」と答えるようです。実際の虹の色はグラデーションをなしており、連続的、段階的に移り変わっていくので、そのどこに切れ目を入れて認識するかは話している言語によって相対的になるようです。7色という日本語の色分けに必然性があるわけではありません。そして、日本語だけが話されている環境で暮らしていると、それが必然性のない先入観であることに気付くことは困難です。このケースでは他言語との比較(対話)を通して、初めて、必然性の無さを認識することができます。アンコンシャス・バイアスは、無意識の思い込みだからこそ自覚しにくく、チェックには別の視点との比較(対話)が必要になります。
このようにアンコンシャス・バイアスは守備範囲の広い概念なのですが、最近では、ジェンダー(性差)に関するアンコンシャス・バイアスが、ジェンダー・バイアスとして取り上げられる機会が多くなってきています。「働いて家計を支えるのは男性の役割」、「家事や育児を担うのは女性の役割」、「女子は理系に向かない」、「男子は人前で泣いてはいけない」といったジェンダーに関するアンコンシャス・バイアスは未だに根強く、私たちはそうした思い込みに囲まれて暮らしています。未婚者に対する「まだ結婚しないの」といった発言は、「結婚するのが当然である」という思い込みを、女の子を出産した人に対する「次は男の子だね」といった発言は、「跡継ぎの男子を生むことが望ましい」といった思い込みを、それぞれ前提としていると考えることができます。口にした人には特に悪気はなく、必然性ない決めつけを他人に押し付けているかもしれないという可能性に気付けていないだけ、といったケースも少なくないかもしれません。
しかしながら、こうした思い込みの押し付けや強化は、虹が何色であるのかとは話が違って、他人の生き方の選択肢を制限することに繋がりかねません。当人にとってもいろいろな可能性を狭める(見えなくする)こともありえます。必然性のない思い込みからは自由になった方が、自分にとっても、周囲の人たちにとっても、社会全体としても、風通しがよくなっていくはずです。ただ、アンコンシャス・バイアスが厄介なのは、無意識の思い込みなので、自力(だけ)でそれに気付くことが困難だということです。実際にできることは、他者から指摘された場合に、それを真摯に受け止め、自分の側の無意識の思い込みが原因である可能性を冷静にチェックし、該当するのであれば、バイアスを修正し、態度を改める姿勢でいること、そして、そうした姿勢を共有していくことです。
なにせ無意識のバイアスなので、その解消には、地道で気の長い取り組みが必要になります。それでも、誰にとっても(もちろんそこには自分も含まれます)風通しのよい地域や社会を目指す上で重要なのは、最近はやりの「論破」(正しさを巡る競争)ではなく、対等な立場での相互批判を含む「対話」(適切さを巡る協働)なのだと思います。