福井県立大学地域経済研究所

2022年

  • 国連の世界幸福度報告は何を測っているのか?

     先日、世界幸福度報告の2022年の最新結果が世界に向けて発表された。日本は世界54位。では実際に、世界幸福度報告は何を測っているのか?残念ながらあまりそのことは理解されていない。このコラムでは、その内容の一端でもお伝えできればと思う。
     世界幸福度報告では、人々の主観的幸福(主観的ウェルビーイング)を測定する方法として「生活評価」と「感情」の2つを概念枠組みとして採用している。
     「生活評価」とは、“ある人の生活またはその特定側面に対する自己評価”のこと。0から10までの11段階の自己評価となり、回答した数字の平均値が国の「生活評価」の値となり、この値の国際比較が国際ランキングをつくる。この測定の仕方において、日本は世界54位/146国となる。
     もう一方の、「感情」とは、“ある人の気持ちまたは情動状態、通常は特定の一時点を基準にして測る”方法で、一人ひとりの感情体験に注目した測定方法である。肯定的感情(幸せ, 笑顔, 喜び)と否定的感情(心配, 悲しみ, 怒り)の両方の体験の有無を測る。肯定的感情の体験が多いほど、また、否定的感情の体験が少ないほど、幸せ・ウェルビーイング度が高いと見なす。日本は、肯定的感情では67位/146国、否定的感情では12位/146国。他国に比して、肯定的感情の体験が多いとは言えないが、否定的感情の体験が少ないという意味では世界12位ということで、安定的な幸福感が存在することがこの結果からうかがえる。
     また、主観的幸福を説明する要因として、「一人あたりGDP」と「健康寿命」の2つの客観要因と「社会的関係性」「自己決定感」「寛容性」「信頼感」の4つの主観要因を世界幸福度報告では測定してきている。日本の場合、客観要因である「一人あたりGDP」は28位/145国、「健康寿命」は1位/141国。主観要因である「社会的関係性」は48位/146国、「自己決定感」は74位/145国、「寛容性」は127位/146国、「信頼感」は28位/140国である。
     主観的幸福に関する測定には文化差があるため、何を尺度にするかによって順位が変動する性質を有しているが、日本社会が世界幸福度報告から学び、それを自分事・地域事としていくためにまなざしを向ける必要があるのは、「社会的関係性」「自己決定感」「寛容性」「信頼感」の4つの主観要因であろう。
     測定するだけでなく、ではいったい地域社会において「社会的関係性」「自己決定感」「寛容性」「信頼感」をどうすれば育むことができるのか。そのような対話が世界幸福度報告の結果を通じて生まれてくることを期待したい。

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  • ふくい地域経済研究第34号

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  • 世界は「虚構」でできているのか

     いささか出遅れ気味ですが、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史(上下、柴田裕之訳、河出書房新社、2016)』の話をしたい。ハラリは、私たち「サピエンス」が地球を征服できた理由をサピエンスの「虚構を創作する能力」にあるとしている。サピエンスはこの虚構を不特定多数の者が信じることによって、大規模な集団行動をとれるようになり、ライオンなどの動物やネアンデルタール人など他の人類種に打ち勝ってきた。
     それでは「虚構」とは一体何か。それは「架空の事物」のことであり、具体的には伝説、神話にはじまり、宗教、貨幣、国家、人権、法律、正義、さらに自由主義や共産主義、資本主義といったイデオロギー、果ては自然科学に到るまで、ありとあらゆる事物が「虚構」だとされている。え! 科学も。ハラリによれば、近代科学は「進んで無知を認める意志」を持っている。どのような科学理論も神聖不可侵ではなく、常に新たな理論に取って代わられる可能性を持つというポパーの科学理論の反証可能性のような理由によって、科学も「虚構」の一つなのである。
     そしてハラリはこの「虚構」を創作し共通の神話として不特定多数のサピエンスの間に広めることができたのは言語のおかげだとしている。しかしそれでは、言語によって表現されるものは全て「虚構」であり、それは絵空事や夢幻も同然なのだろうか。
     この問いに対して、イエスかつノーだ、と答えたい。イエスである意味は、ハラリの主張するように宗教も人権も世界そのものが有する世界の形式であるわけではない。それらはサピエンスが「発見」したものではなく「発明」したものである。そして言語も世界そのものの形式ではなく、サピエンス史上最大の発明品に他ならない。その意味で、言語表現されたものは表現者の視点(ものの見方、世界観)から、表現者の関心によって、表現者のために、世界から切り出され構成されたものなのである。言語はサピエンスとは無関係にそれ自身独立に存在しているものそのものを表現することはできない。
     ノーである意味は、一切は言語による「虚構」だといっても、嘘偽りでも、誤りや間違いであるのでもない。つまり、この虚構は事実に対する虚構ではない。例えば人権は、確かに世界そのものの形式でもないし、永遠不変の真理としての根拠も、基礎も持たない。よって人権は守られなければならないことを私たちは、「知っている」のではなく「信じている」としかいえない。しかしこの信念は、「あなたの言うことを信じます」とか「この試合の勝利を信じています」といった信念とは異なる。
     自分の右手を見てほしい。それでは、それが自分の右手であることに根拠や基礎があるだろうか。何を持ってきてもこのこと以上に確実なことなどない。ウィトゲンシュタインは「これは私の右手だ」、「私は月に行ったことはない」、「大地は大昔から存在している」等の特殊な命題を世界像命題と呼んだ。世界像は私たちの一切の活動の基盤となっている。そして根拠付け、基礎付けには終わりがある。しかし世界像は一番の基礎であり、最終根拠である以上、その根拠を示すことも、何かに基礎づけることもできない。だからこそ最終根拠であり一番の基礎なのである。そして世界像は絶対的なものでも普遍的なものでもない。根拠も基礎もない以上世界像について「知っている」とは言えない。「信じている」としかいいようがない。したがって世界像は神話に属している。
     それでは世界像は絵空事だろうか。「これは私の右手だ」ことを疑うことができるだろうか。このことを疑うくらいならば、自分の精神状態を疑うべきではないか。このことを疑っていて、どうして車のハンドルが握れるだろうか。手すりに掴まることも、この文章を書くこともできなくなる。私たちは「これは私の右手だ」などと意識することなく、何の躊躇もなくこれを自分の右手として行為している。生活している。これが現実である。
     私たちサピエンスの現実は、それ自身独立に存在する実体によってできているのでも、事物背後にあって事物を事物ならたらしめている永遠不変の本質、言語でいえば言葉の背後にある意味なるものによって成立しているのでもない。絵空事というなら、これら実体や、本質、意味なるものこそ絵空事なのである。

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  • -持ち直しに入る日本経済、課題山積の中で新たな経営モデルの構築を-

     2021年の日本経済を概観すると、年初来、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が断続的に発令される中、国内景気は一進一退の状況を余儀なくされた。
     ちなみに、昨年1~3月期は、堅調な輸出に支えられ生産活動が回復基調を持続する一方、需要面では緊急事態宣言の再発令による外出自粛や飲食店などでの時短営業から個人消費が精彩を欠いた。4月に入ると、3度目の緊急事態宣言が発令され足下の消費活動が再び弱含んだものの、輸出が堅調な汎用機械や生産用機械、電子部品・デバイスなどの増産により、生産活動が回復基調を持続。その結果、4~6月期のGDP成長率は2四半期ぶりのプラス成長となった。しかし、7月入り後は、感染拡大を受けた緊急事態宣言の4度目の発令により、各種の物販をはじめ宿泊・飲食サービスなど個人消費の抑制傾向が続いたほか、設備投資も前年割れで推移した。
     供給面でも、半導体不足や東南アジアからの部品調達の停滞による自動車の減産などから、低調な創業が続いた。そのため、2021年7~9月期のGDP成長率(改定値)は、物価変動の影響を除いた実質で前期比▲0.9%、年率換算で▲3.6%と、2四半期ぶりのマイナス成長に陥っている。
     ただ、秋口以降は、ワクチン接種の進捗と新規感染者の低下傾向、それによる9月の緊急事態宣言解除を受け、停滞した宿泊・飲食サービス関連需要を含め、国内での経済活動の再開が進んだ。
     こうした中、2022年の経済情勢について概観すると、今は何と言ってもオミクロン株の感染拡大が懸念されるところではあるが、まず需要部門では、うまく新型コロナウイルス感染の鎮静化が進めば、経済活動が正常化し雇用・所得環境の改善が進むことに加え、防疫への対応と経済活動の両立が進み、さらに、これまでの政策支援や消費抑制傾向により過剰に積みあがった家計貯蓄の一部が消費に回ることで、個人消費の回復に繋がるとの考え方が有力である。ただ、原油高などを背景とする仕入価格の上昇により、運輸・郵便や宿泊・飲食サービスなどのもう一段の業況悪化も懸念され、業種・業態間による収益環境のバラツキも顕在化するであろう。
     一方、供給部門では、半導体の供給制約という課題が本年も負の影響を与えるものの、世界的な景気回復を背景に資本財や電子部品・デバイスへの需要が堅調であることや、部品不足の要因となった東南アジアの新型コロナウイルス禍が和らぎ、今後、自動車などの生産が持ち直していくとの見方が支配的である。従って、本年の日本経済は、各種の不確実性を伴いながらも、徐々に持ち直しの状況へと進むであろう。
     また、前述したオミクロン株の需要への影響についても、景気腰折れといった最悪のシナリオを想定しておく必要はあるが、これまで経験した国民のコロナ対応能力に加えて、オミクロン株自体に、懸念されるほどの脅威がなければ、思うほどの厳しい状況は回避できるものと考えられる。
     いずれにせよ、産業・企業を取り巻く環境は、今、コロナ禍は無論、DX化、サスティナビリティ、SDGs、CSR、カーボンニュートラル等、多様な課題に対応することが必要とされている。いつまでもこの現状に手をこまねいているわけにはいかない。課題山積の中ではあるが、そろそろ新たな経営モデルの構築を図らなければならない。
     それには、具体的にどのような事業戦略を検討すべきなのであろう。例えば、現在保有する市場を深堀する、今の技術やノウハウで新たな市場を開拓する、或いは今の市場をベースに新たな技術やノウハウを投入する、そして、多角化戦略など様々な考え方があるに違いない。もちろん、考えた戦略を成功に導くためには、自社を取り巻く外部環境から自社にとっての機会と脅威を整理し,さらに自社の独自能力から強み,弱みを分析するなどして自社が取るべき今後の戦略を明確にしていくことが必要となろう。一刻も早く、攻めの経営へと転じてもらいたいものだ。

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