福井県立大学地域経済研究所

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遺産(ヘリテージ)が溢れる世界―恐竜は福井のヘリテージとなりうるのか?

福井県立大学 地域経済研究所 准教授 森嶋 俊行

 今、〇〇遺産と名のつく遺産(ヘリテージ)が増え続けている。世界遺産、自然遺産、文化遺産、農業遺産、機械遺産……私もそうしたヘリテージ、その中でも工場や鉱山の跡地といった産業遺産を研究対象としており、その関係で、隣接する分野のヘリテージ研究者の読書会に参加させてもらい、その成果として去年『文化遺産(ヘリテージ)といかに向き合うのか―「対話的モデル」から考える持続可能な未来』(ミネルヴァ書房)の翻訳出版にかかわることができた。

 本書によれば、ヘリテージは近代において共同体のアイデンティティを形成するのに必要不可欠なものだそうだ。不確実性と危機感を常とする近代において、人間集団のアイデンティティは常に危機にさらされる。そうした中で近代とは対照的に、確実で変化しないとみなされた「過去」「歴史」と現在をつなぐヘリテージに光が当てられたという。国家の威信を人々に示すフランスのルーブル美術館やイギリスの大英博物館などを連想すれば、こうしたことは実感できよう。ヘリテージははじめからヘリテージなのではなく、その時代、その場所での事情によりヘリテージとなるのだ。

 さて、去年福井県立大学の採用面接を受けるため数年ぶりに福井駅を訪れたとき、真っ先に目に入ったのは、もちろん恐竜であった。イラスト、模型、ロボット……その後も新幹線の開業を経て、日に日に駅前に増えていく。こうした行政や観光業に関連するシチュエーションのみならず、民間のトラックに恐竜が描かれたり、地元自治会等が制作したような恐竜像が田んぼの中に建てられたりと、こうなると福井の恐竜推しは、観光振興のためのお題目を超えるのではないかとも感じてくる。

 こうした中で、恐竜は福井のヘリテージとなりうるのであろうか。研究の興味関心上、密かに気になっているところである。もちろん彼らが生きて動いていたときには、県境どころか日本列島すら影も形もなく、彼らがそのようなことを気にしていたはずもない。たまたま現在人間が、ここが福井県ですと線を引いて決めた境界の中から化石が数多く発掘されたというだけのことである。それが時を経て、今を生きる人々の事情により前面に出されることとなった。個人的には、これは確かに観光資源として強いなと感心している。子どもや家族連れに人気があり、日本どころか東アジア全域辺りまで探索範囲を拡張しても、オリジナリティが高い。

 私の研究対象とする産業遺産では、これらの何をどこまでどのように保存するかが、世界のあちこちで議論になっている。ここまで紹介してきたように、ヘリテージをどのようにマネジメントするかということは、人々のアイデンティティに関わる重大な問題なのだ。そこが研究する意味のあるところでもある。そうした出来事を念頭において、今現在眼の前で行われている福井の恐竜売りを観察することは大変興味深い。カニ、結城秀康、芦原温泉といったこれまでにあった福井の歴史的、社会的、文化的文脈から一見ぽっと出の存在に見える恐竜。そのようなものが地域のアイデンティティと結びつき、地域の血肉となることがありうるのか?ありうるとしたらどのように?そこに摩擦や衝突は起こりうるのか?私としてはひとまず恐竜が街中に広まっていく様子の観察を楽しみたい。